山口富士夫さん
山口富士夫さんの経歴は1967年、グループサウンズ『ザ・ダイナマイツ』に始まり、デビューシングルで自らリードボーカルをとった『トンネル天国』がスマッシュヒット。バンドの人気は今ひとつ伸び悩んだが、R&Bを根底にした骨太でアグレッシブなサウンドは確実に固定の熱狂的なファンをつかんだ。
1969年にはギタリストとして"チャー坊"柴田和志(Vo)とともに『村八分』を結成。ローリングストーンズが下手くそになったような演奏と不安定なシャウト型のボーカル、差別用語もいとわないアナーキーな歌詞のスタイル……つまりセックスピストルズなどのパンクロックを先取りしたようなサウンドは既成の商業音楽にあきたらないロックファンの心をつかみ、ニューロック期を代表するバンドに成長していく。『村八分』も1973年には解散と短命に終わるが、ギタリストとしての山口さんのイメージはこの時期にほぼ完成したと言えるだろう。
その後も『裸のラリーズ』での活動、忌野清志郎、ボ・ガンボスらとの交流、破天荒な私生活や社会運動などを通して時代を超えてロックファンを魅了した孤高のミュージシャン・山口富士夫さん。
現在29歳の筆者だが、ガレージロックやパンクロック、歌謡曲をかじった同世代、さらにもっと若い世代の中にも山口さんに影響を受けたと言う者は数多い。
日本の音楽シーンはまた一人、真のミュージシャンを失ってしまった。故人のご冥福をお祈りしたい。