レインボー祭り物語(2)
今は花火はありませんが、レインボー風船を一斉に空に放ち、フィナーレを迎えます
川口昭美さんはレインボー祭りの後、新宿二丁目振興会という組織を立ち上げ、二丁目のお店(ゲイバーやレズビアンバー、ショップなど)が協力しあい、共に発展していけるような下地をつくりました。
そして2001年、パレードとレインボー祭りはさらに華やかに、いっそうの盛り上がりを見せました(この年も、二丁目に上がった花火を見て、たくさんの人たちが涙していました)
このまま二丁目やゲイシーンがますます盛り上がっていく期待感がふくらむ中、2002年5月末、川口昭美さんが脳出血で急逝するという悲劇が起こりました。大勢の方がショックを受け(葬儀には700人が参列)、朝日新聞にも掲載されました。
アキさんの遺志を継いで振興会会長となったのが、2001年のパレードを主催したバー「mf」の福島光生(ふくしまみつお、通称みっちゃん)さんです。そうして2002年以降、レインボー祭りは一度も休むことなく夏に開催され、二丁目の夜を感動的に彩ってきました。
消防署の指導で花火は上げられなくなりましたが、2007年にはゲストとして平山みきさんが登場し、「真夏の出来事」などのヒット曲を歌ってくれました。
2008年、秋葉原で通り魔事件が起こったことを受けて、警察署の指導が厳しくなり、人の流れが止まるようなステージパフォーマンスをすることができなくなりました。以降、ドラァグクイーンのショーは行われなくなります。
2010年、お祭りの実行委員長をバー「Base」のToshiさんがつとめることに。ところが、開催直前に仲通りの使用が禁止され、ドタバタのなか、花園通りの一部(新宿公園辺りからマルエイ近くの交差点まで)と、東電前~「mf」前(お墓がある辺り)~第一天香ビル前の通りを会場とすることに。でもお祭りはいつも通り平和に、トラブルもなく、無事に行われました(詳しくはこちら)
それから、もともとパレードの後夜祭としてスタートしたレインボー祭りは、パレードがある時は必ずその後に行われてきたのですが、今年、とうとう夏のパレードがなくなることになりました(主催団体の東京プライドが解散することになったのです)
こうして、パレードもなく、花火もなく、ドラァグクイーンのショーもなく、仲通りでさえもなくなりましたが、それでも、二丁目振興会(バーのママさんたち)の方たちの尽力によって、今年もレインボー祭りが開催されます。二丁目の夏の風物詩として、日本を代表する野外ゲイフェスティバルとして、これまでに亡くなった方たちへの追悼の気持ちもこめて(お盆に開催されるのはそういう意味もあるはずです)
幾多の名場面を生み出し、東京のゲイシーンの歴史とともに歩み続けたレインボー祭り。二丁目の方たちの汗と涙と○液の結晶であるレインボー祭り。このお祭りがある限り、ゴトウは必ず足を運びたいと思っています。