レインボー祭り物語(1)
レインボーの風船に彩られた新宿二丁目
パレードを主催していた砂川秀樹さん(現在は沖縄に帰り、ピンクドット沖縄などを主催)は、パレードの後夜祭として、二丁目でお祭りができないかと考えました。そこで、二丁目で「ACE」(現「ArcH」)や「cocolo cafe」などのビジネスを幅広く手がけ、街の顔とも言うべき存在だった川口昭美(かわぐちあきよし、通称アキ)さんに話を持ちかけました。
川口昭美さんは二丁目の主立ったお店のマスターや『バディ』の社長などに声をかけ、「ACE」で「第1回レインボー祭り」立ち上げのためのミーティングを開きました(幸いなことに、ゴトウもその場に居合わせることができました)。二丁目の方たちが一堂に会する機会はそれまでほとんどなく、それだけでも歴史的だなあ、としみじみ感動しました。
その後、祭りの準備に奔走したアキさん。もともとお祭り好きで、ニューヨークのゲイシーンに触れたり、全国のゲイイベントにも顔を出したりしてきた方なので、イベントの中味に関しては何も心配いらない感じでしたが、仲通りを通行止めにして…となると、警察の許可も必要になります。アキさんと砂川さんは警察署に出向き、なかなか理解が得られないなか、粘り強く説得にあたったそうです。
そうして迎えた8月27日当日、パレードにも数千人が参加し、代々木公園から渋谷、原宿を晴れやかに行進しました(『バディ』もフロートを出しました)。そしてその夜のレインボー祭りでは、初めて二丁目の仲通りが歩行者天国になり、ドラァグクイーンのショーやライブ、スクエアダンス、エイサーなどのパフォーマンスが行われ、最後はみんなで風船を一斉に空に放ち、そして……まさかの、花火が上がったのです(「ルミエール」が入っているビルの屋上から)
二丁目の夜空に花火が上がるというあまりにも素敵すぎるサプライズに、大勢の人たちが抱き合って号泣しました(ふだんは「鬼」と怖れられてるような方たちさえも)。作家の伏見憲明さんは『バディ』誌に「コミュニティの誕生」という記事を寄稿し、この夜の花火に象徴される二丁目コミュニティの素晴らしさを讃えました。2000年8月27日は「日本のストーンウォール」とも呼ぶべき、記念碑的な日になったのです。