フルコンタクト空手の源流、極真空手とは
世界中で愛される日本の武道「極真空手」を紹介致します。この記事を読んで、数ある空手流派の一つである「極真空手」に少しでも興味を持って頂けると幸いです。空手の歴史
「空手」は、もとは中国から琉球王国に伝わり発展した武術「唐手」が日本本土に伝わって発展したものです。琉球唐手には、琉球の首都である首里の「首里手」、貿易港として栄え、多くの中国人が行き来し武術の交流も多かった那覇の「那覇手」、山東省からの漂着民が伝えたと言われる「泊手」がありました。1922年、東京で体育展覧会が行なわれ、これに沖縄県も参加し、唐手を初めて公の場で公開し、首里手の名手で現在では「近代空手の父」と呼ばれる船腰義珍(1868~1957)が沖縄の代表として演武を行ないました。
日本本土に伝わった唐手は1947年に船腰義珍により「空手」と改められ、広まっていきました。現在では多数の流派がありますが、剛柔流(創始者・宮城長順)・松濤館流(創始者・船腰義珍)・糸東流(創始者・摩文仁賢和)・和道流(創始者・大塚博紀)が「伝統空手の四大流派」と呼ばれています。
極真空手の歴史
沖縄から日本本土に伝わった空手では、技を相手に当てる寸前で止める「寸止めルール」が採用されていましたが、1947年9月に戦後初めて開催された全日本空手道選手権大会で優勝した大山倍達(1923-1994)は当時の寸止めルールに異議を唱え、直接打撃制の空手「極真空手」を創始しました。これがフルコンタクト(=直接打撃制)空手のルーツになります。1954年4月に東京・目白の野天に「大山道場」の看板を出し、1956年6月、立教大学裏の古いバレエスタジオを借りて稽古を始めます。総勢300人強。この道場が現在の極真会館総本部の前身となりました。
1964年、国際空手道連盟 極真会館設立。1969年には『直接打撃制(フルコンタクト)』を提唱し、第1回全日本空手道選手権大会を開催。1975年には通称『カラテオリンピック』と呼ばれる第1回全世界空手道選手権大会を開催し、全世界に極真空手ブームを巻き起こします。以降、現在に至るまで格闘技界に多大な影響を与え続けています。
極真会館とはどんな団体?
国際空手道連盟 極真会館は、1994年5月 創始者・大山倍達の生前の遺志に基づき、第4回世界大会チャンピオンで本部直轄浅草道場師範だった松井章圭が二代目館長に就任し、現在に至ります。「極真空手道を通じての武道教育をもって、社会貢献を実現する。国際交流を持って、全世界の平和友好を推進する」という目的を持ち、国内に101支部900道場 累計会員数60万人、海外に170支部6500道場 累計会員数1250万人(2010年時点)を有する世界最大の武道団体となっています。極真空手の精神性
極真とは、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発した名称です。完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。極真会館に伝統的に受け継がれている精神である、「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」とは、創始者である故大山倍達自身が、長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。また一方では、極真の挨拶「押忍」の精神には、尊敬、感謝、忍耐という精神があります。心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真会館での修行が、実生活に活かされると信じます。
現在の極真空手
一昔前まで「地上最強のカラテ」と恐れられ、10代・20代の血気盛んな男子たちが「最強」を目指して鎬を削っていた極真空手ですが、現在ではそういった選手志望者の他にも幼児・小学生から女性・中高年の方まで、子供の礼儀作法を身につけさせたい、ダイエット・美容にいい、加齢に負けず体力を維持したいといった様々な理由で多くの方が入門されています。また、空手を始めてみると、上達の度合いを試したくなり、試合に出てみたいと思う方も大勢います。以前は男子の体重無差別の選手権大会しか行われていなかった極真空手も、現在は門下生に合わせ多くのカテゴリーで試合が行われています。幼年・少年・中学生・高校生・大学生・一般部(35歳迄)・壮年部(36歳以上)といった年齢別で、男子・女子ともにとても盛り上がっており、大会レベルも道場ごとの交流試合から県大会・地方大会・全日本大会・世界(国際)大会とあります。組手の試合は怖いという方は、型の大会もありますので、稽古のモチベーションを上げるためにも、入門されたらぜひ試合出場を視野に入れて頂けると良いと思います。
稽古の強度も参加者の体力レベルによって調整されますので、ご興味をお持ちの方はぜひお近くの道場へ見学にいらしてください!