laongfong

La-Ong-Fong @Melody of Life

アジアの国で僕が個人的に一番興味を持ったのは、タイ。伝統的な民族音楽もあり、演歌もあり、アイドルもあり、インディーポップもあり、そしてタイの渋谷系と呼びたくなる人たちも。それが、La-Ong-Fong(ラ・オン・フォン)。偶然、バンコクに滞在中、La-Ong-Fongのメンバー、Aehさん、Manさん、そしてOnちゃんと出会う機会があり、今回初めてのタイのアーティストのインタヴューとなりました。

 

日本初、インタヴュー

ガイド:
laongfong

La-Ong-Fongとガイド

バンコクのセントラルワールドで行われたフェスティバル「Melody of Life」でお会いしましたが、覚えておられたら幸いです。「Malee」というブランドのブースでみなさんが居て、一緒に写真を撮りましたね。

 

Aeh:
aeh

Aeh

こんにちは。覚えていますよ。フェスティバルで僕たちのショーを見に来てくれて、ありがとう。

 
ガイド:

初めて、みなさんのパフォーマンスを見ることが出来て感激しました。これが日本のメディア向けの最初のインタヴューとなるのでしょうか?

Man:
man

Man

はい、これが僕たちにとって日本のメディアでの最初のインタヴューです。

 
ガイド:

来日されたことはあるのですか?

Man:
はい、日本にはみんなで何度も行きました。日本の国、人々、文化などが大好きです。お天気もとても面白い。

La-Ong-Fongの結成時の話

ガイド:
確かにタイとはお天気はとても違いますね。
La-Ong-Fongはいつ結成したのですか? 元は5人組だったのですよね。みなさん、結成時からいたのですか?

Aeh:
長い話になります。1996年に同じ音楽のインスピレーションを持つ友だちとバンドを組みました。最初のメンバーの僕(Aeh)とChomphoo(以前のヴォーカリスト)は、歌のコンテストに出場して、アルバムのためバンドを結成すべく、いっしょに音楽レーベルに行きました。僕は、ドラマーのFluke、キーボーディストのNhong、ギタリストのManに加入してもらいました。バンドとしての最初の年から、僕たちはタイの大きな音楽レーベルに所属しました。

僕たちは自分たちでファースト・アルバムの制作をしていたのですが、レーベルは僕たちがその時点では属していなかったマスマーケット指向であったことが問題でした。そして、僕たちが作った10の楽曲と共にレーベルを去り、僕たちの音楽を受け入れてくれる別のレーベルに移ったのです。1996年にファースト「La-Ong-Fong」をリリースし、1年の経験を積みました。その時点では、僕たちは成功しませんでした。少数のグループだけが、僕たちを理解してくれました。しばらく活動を休止して、次に再開したのは10年後です。セカンド・アルバムをリリースするチャンスに恵まれたのですが、Chomphooは既にアメリカに住んで、働いていました。彼女が再び参加することは出来ませんでした。ドラマーもキーボーディストも。最終的に、僕たちは(AehとMan)は新しいシンガーをオーディションし、Onが加入し、現在のLa-Ong-Fongとなるわけです。