エネルギッシュに生き抜く登場人物たち
『レ・ミゼラブル』プロローグから、バルジャン(キム・ジュンヒョン)とジャベール(川口竜也)。写真提供:東宝演劇部
演じるキム・ジュンヒョンさんは、『ジーザス・クライスト=スーパースター』のジーザス役等、静謐なたたずまいに感情を秘める役を当たり役としてきた役者さんですが、演出家はここではあえて、バルジャンには不当な扱いに対する「怒り」を表現させたかったのだそう。
その後も数奇な人生を辿るバルジャンを、ジュンヒョンさんは終始毅然として、背筋を伸ばしたまま老い、死んでゆく男として演じています。世の理不尽さに立ち向かう、勇気ある「個人」の象徴としてのバルジャン像なのでしょう。
『レ・ミゼラブル』学生たちの革命活動に加わるガブローシュ(加藤清史郎)。写真提供:東宝演劇部
ファンテーヌは通常、嘆きから始まりがちな「夢破れて」を叫ぶように歌いだし、強い感情の持ち主であることをうかがわせますし、売春宿や学生たちのシーンではアンサンブルがこまやかな演技を見せ、それぞれの人生のストーリーを垣間見せます。
特に、戦いの合間の休息のシーンでは、ちびっ子ガブローシュ(この日は加藤清史郎さん。まっすぐな歌声と、緊張感の中で野性の勘を張り巡らせる演技が適格)と飲んだくれ男の絆が、台詞無しにも関わらず非常に分かりやすく表現され、それだけに後の悲劇味が際立ちます。
『レ・ミゼラブル』コゼットのもとを訪ねるマリウス(原田優一)。写真提供:東宝演劇部
それが今回、マッキントッシュが「この二人は若さ、美しさ、情熱の象徴であってほしい」と願ったこともあってか、出会い、恋に落ち、夢心地になったり引き離されて絶望したりという過程を、よりくっきりと表現。全身覆い隠されていたようなコゼットの衣裳は若干、開放的になり、「純真な美しい娘」像に「生き生きとした」という形容詞が加わりました。
またマリウス(この日は原田優一さん。誠実な持ち味、歌声で役を輝かせています)も主人公並みの存在感を持って中央に立ち、心情を切々と訴えます。戦いの合間のシーンでは、「コゼットが去って空しい。死んでもいい」と言って眠る彼を、バルジャンならずとも「家に帰してやりたい」と願わずにはいられないでしょう。
この二人の存在感が増すことで、エピローグでバルジャンやファンテーヌ、エポニーヌらが後方から「民衆の歌」を歌い、その手前でマリウスとコゼットがバルジャンの手紙を読むという構図に、大きな意味が与えられます。
背後の人々は死者、つまり「過去」。そしてマリウスとコゼットは「現在」あるいは「未来」の象徴。名もない、しかしそれぞれにストーリーを持つ無数の人々が存在していたことで、人間の「今」「未来」はある。そして、世代から世代へと「愛」や「正義」「希望」が手渡されて行く。そんな世のありさまを切り取って見せたのが、『レミゼ』というドラマなのだと言えるでしょう。
『レ・ミゼラブル』1幕幕切れ、人々がそれぞれの明日に思いを馳せる『ワン・デイ・モア』。写真提供:東宝演劇部
ただ、キャスティングが4人というお役もあるので、組み合わせの数は無限にあります。何回観るか、が観客にとっては嬉しい悩みとなりそうです。