「通じない英語」の背景
「英語の発音はだいじょうぶ。文法も完璧。それなのに、あの人は何を言っているのかわからない」。英語がある程度出来る日本人に対するこのような英語評があります。その理由のひとつには、日本語と英語の世界の行き来がスムーズに出来ていないことが考えられます。
これは初級者の方もいつか必ずぶつかる壁ですから、今からぜひ対策を練っておきたいものです。
それでは、2つの言語の文化を行き来する感覚をどのように理解し、身につけたら良いのでしょうか。
高文脈文化社会と低文脈文化社会—理論編—
このような問題の背景をわかりやすく解説しているのがエドワード・T・ホールという文化人類学者です。ホールは、1977年に著した『Beyond Culture(邦題:文化を超えて)』において、異文化理解の枠組みとして、高文脈文化の社会と低文脈文化の社会という概念を説明しています。
ホールの説に従えば、日本語の世界は高文脈文化社会に、英語の世界は低文脈文化社会に分類されます。
高文脈文化社会の私なりの解釈は、「あ・うん」の社会です。つまり、「言葉そのものの意味よりも、その言葉が使われる状況やルール、慣習」がコミュニケーションの中心になるような社会だと言うことが出来るでしょう。
このような社会では、わかりきったことを言葉にすると、「理屈ばかり言って!」とか「屁理屈を言うものではありません!」と嫌がられることになります。
自分が所属する社会の「言葉にならない慣習」を知り、それに従って行動出来るまでにはある程度時間がかかります。したがって、それが出来るようになると「一人前」の仲間入りです。それが出来るまでは「青二才」の扱いを受けます。
このような高文脈文化社会に属する日本語文化の典型的な例として挙げられるのが、「Noを言わない」という現象です。日本人のNoの言い方が、直訳だといかに英語にならないかを例を挙げて考えてみましょう。
例えば、会社の先輩や上司から「今晩飲みに行かない?」と誘われたときを想像してみて下さい。
みなさんは、家族や友人、恋人との先約があり、いくら先輩や上司の誘いでも断りたいと思っているとします。そんな時、どう断りますか?第一声はなんと言いますか?
「あの、ちょっとー今晩は……」
よほど親しくない限り、「きょうは行けません。すみません。」と直接的に事情を伝えず、婉曲的に断る方が多いのではないでしょうか。
これを英語に直訳すると、‘Well, a little tonight.’となります。
こう言われた方は、‘Lovely! Let’s go, then!(いいねー。少し飲めるのか、じゃ、行こう!)’となりかねず、引きずられるように飲みに連れて行かれるはめになる危険性さえあります。
ところが、日本語ならば「ちょっとー」と言われた方は、「あ、そうなの。じゃ,また今度。」と理由を突っ込んで聞かないという暗黙の了解があります。
このように、「こういう状況でこう言う時は、こういう意味だよね」という同意が得られている社会が、高文脈文化社会と考えられます。