バリスタ修業はバンクーバーで
改装前の蔵のたたずまい。
「それは日本語教師をめざしていたとき、養成講座の実習生としてバンクーバーの公立セカンダリースクールで学んだから。自然の豊かな環境と、そこで出会った人々の心の純粋さに魅力を感じていました」
バリスタの仕事は厳しかったが、近藤さんはコーヒーをより極めたいと考えた。当時まだ少なかった焙煎講座を探しまわり、サンフランシスコでプロバットの焙煎機を使った三日間の講座に参加した。
「焙煎機に触れたとき、本能的に『これだ!』と感じたんです。焼きあがった豆がざざっと出てきたときはもう感動して、無条件にこの仕事をしたいと思ってしまった」
理屈では説明できない決心だった。
改装前の蔵の扉。
いま、近藤さんは風光明媚な埼玉県日高市にもとめた自宅の古い蔵を焙煎スペース兼カフェにしようと、秀幸さんや友人たちの協力を得てこつこつと 修復をつづけている。カフェには料理上手な育子さんのつくるスコーンも並ぶ予定だ。
母の育子さんがつくったスコーン。大きい!
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