ガソリンも電気もなしに200トン
10分の1に復元された菱垣廻船。大坂と江戸を結び、木綿や油、紙などを運んだ。
鉄道やトラックのような陸上の大量輸送の手段がなく、そもそも主要道路すら舗装されていない江戸時代、各地から江戸に物資を運んだのは船でした。四方を海に囲まれ、河川が網目のように内陸をめぐる日本では、少ないエネルギーで大量の物資を運ぶには船が最適だったのです。菱垣廻船や樽廻船が海路上方から酒をはじめ様々な物資を、荒川や利根川を行く高瀬舟が、年貢米など各地からの産物をもたらし、造船や航海・操船の技術が発達しました。19世紀には、1500石(225トン)を積載できる廻船も登場していたそうです。
夜は真っ暗?
江戸時代の照明器具の数々。火事を出さないように、様々な工夫が凝らされていた
照明器具は、室内用には行燈やひょうそく、外出には提灯、短い移動には手燭など目的別にいろいろありました。蝋燭は明るいけれどたいへん高価で、菜種油も安くはありません。吉原のような特殊な場所ならともかく、庶民は安価な魚油しか使いませんでした。魚油はすすも匂いも強く、得られる明るさも知れたものでしたから、「暗くなったら寝る」が基本。江戸の最大のエネルギーは、何と言っても「太陽」だったのです。