世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

サンマリノ歴史地区とティターノ山/サンマリノ(2ページ目)

ティターノ山の断崖を利用して強固な城砦を築き、1,700年以上にわたって独立を勝ち抜いてきた世界最古の共和国、サンマリノ。中世の姿をそのままとどめる歴史地区の街並みと、眼下に広がるまっ青なアドリア海は、息を呑むほど美しい。今回は世界遺産「サンマリノ歴史地区とティターノ山」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

自由と独立を守り抜いたサンマリノ

グアイダ城砦から見たチェスタ城砦

こちらはグアイダ城砦から見たチェスタ城砦。チェスタ城砦の内部は武器博物館として公開されている

自由の女神

フランスから贈られた自由の女神。有名なニューヨークの女神より歴史がある

ローマ教皇の承認は得たものの、サンマリノはたびたび独立を脅かされてきた。周囲の都市国家の攻撃を受けることもあったし、教皇領に組み込まれそうになることもあった。

19世紀にはナポレオンが国王としてイタリア半島のほぼすべてを占領する。独立を貫くサンマリノに感銘を受けたナポレオンは、土地や武器の提供を申し出たが、サンマリノはあくまで中立・独立を掲げてこれを断ったという。そのためか、ナポレオン失脚後、ヨーロッパのあり方を話し合った1815年のウィーン会議ではサンマリノの独立が確認されている。

その後イタリアでサルデーニャ王国を中心としたイタリア統一運動が起こり、ガリバルディらの活躍もあって1861年に統一に成功。イタリア王国が誕生する。サンマリノは中立をうたったが、ガリバルディをかくまうなどしたため、サルデーニャの支配に反対していた教皇に領地を没収されかけてしまう。独立後、イタリア王国はこうした恩もあって、サンマリノの独立を承認し、友好条約を結んでいる。

20世紀、第一次世界大戦、第二次世界大戦でもサンマリノは中立を宣言。第二次世界大戦中にはイタリアとドイツの戦闘に巻き込まれて一時戦場となるが、両国ともサンマリノを占領・支配することはなかった。

 

結局サンマリノは301年よりほとんどの期間、独立を貫いてきた。「自由」を何よりも重視し、大国に媚びることはなかった。リベルタ広場に掲げられた自由の女神や、国旗に書かれた自由を意味するその言葉 "LIBERTAS" はまさにその象徴なのだ。

ミニ国家・サンマリノの基礎知識

グアイダ城砦からチェスタ城砦へ続く城壁

グアイダ城砦からチェスタ城砦へ続く城壁。この堅牢な城壁を見て数多の軍勢が攻略をあきらめたという

サンマリノ国旗

サンマリノの国旗。中央の絵は3つの塔、グアイダ、チェスタ、モンターレ。文字は "LIBERTAS"、つまり自由

サンマリノはミニ国家のひとつ。いくつかその特徴を見ていこう。

世界で5番目に小さい国であるサンマリノの面積は東京の山手線内と同程度(世界最小は世界遺産にもなっているバチカン市国)。首都はサンマリノ市で、その他に8つの自治体が存在する。サンマリノの人口は約3万、サンマリノ市は約5千で、経済的にはボルゴ・マッジョーレの方が栄えている。

サンマリノ市は国の中央部に位置する自治体で、その東部、ティターノ山とその周辺が世界遺産に登録されている。サンマリノのGDPの半分以上が観光収入だが、その多くをここで稼ぎ出している。サンマリノには消費税がないため、近所のイタリア人が気軽に買い物に来たりもしている。

 

グアイダ城砦内部

グアイダ城砦内部。外観は自然を利用しているため柔軟だが、内部は直線で構成されていてミニマル

おもしろいのは裁判官や警察官だ。少ない人々が大昔から同じ場所で暮らしてきたのだから、家庭事情を知り尽くした顔見知りばかり。平等性を保つために、裁判官も警察官も外国人を採用している。

「世界最古の共和国」というように、政治的にも中立・平等が重視されている。選挙によって議員が選ばれるのはもちろん、元首である執政はふたりいて、しかも任期はたったの6か月。こうしたシステムは13世紀には完成していたようだ。

こんなところにも「自由」を愛し、いずれの国からも独立を保ち続けてきた誇りがうかがえる。

 

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