日本のパレードの歴史
参加者のパワーがみなぎっていた東京レズビアン&ゲイパレード2000。東京で再びパレードが行われる日を、多くの人が待ち望んでいたのです。
1999年には、レズビアンの方たちによるダイクマーチが行われました。数百人規模で渋谷から新宿公園まで歩く、アットホームな雰囲気のパレードでした。
2003年、レインボーマーチin札幌では、初めて現職の市長さんが来場し、セクシュアルマイノリティを支援する歴史的なスピーチを行いました。多くの方が感動で涙していました。
翌2001年には、福島光生さん(バー「mf」マスター。2002年からは亡くなった川口昭美さんから二丁目振興会会長を引き継ぎました)を実行委員長として第2回東京レズビアン&ゲイパレードが開催され、パレード前日にドラァグクイーン・ショーやミュージシャンのライブなどを楽しむ「GLORY」というプレイベントも行われました。2002年には、関根信一さん(劇団「フライングステージ」主宰)を実行委員長として開催され、同様の成功を見せました。だいたい毎年3000人くらいが歩くという、当時のデモとしては都内最大級のものでした。
この3回のパレードは、コミュニティの多くの人たちの協力を得て、とても華やかに盛り上がりましたが、主催者の消耗が激しかったため(毎年スタッフが入れ替わる形でした)、2年間の充電期間を経て、無理なく毎年できるようにしようということで東京プライドという団体が設立されました。そして、2005年、おかべよしひろさんを代表としてパレードが復活し(「みんなでブラス!」が初開催され、感動を呼びました)、2006年、警察の厳しいチェックが入ったり、突然の豪雨に泣いたりという苦難を乗り越えるべく、2007年に中田たか志さんが代表となり、名称も東京プライドパレードと改め、企業のスポンサーをつけたり、議員さんが登壇したりという、革新的なパレードを行いました。
しかし、2008年、東京プライドの理事会と実行委員の対立によって団体が雲散霧消し、パレードが中止に…。再び砂川秀樹さんが東京プライドを再建し、翌2009年に東京プライドフェスティバルを、2010年にパレードを行いました(NHK教育『ハートをつなごう』の収録が行われたり、企業が多数参加するようになったり、より一般社会とのつながりが深くなりました)
昨年、砂川さんの帰郷に伴い、東京プライドの代表選が行われ、門戸大輔さんが代表に選ばれました。が、対抗馬だった田端長久さんらを中心に、東京プライドとは少し異なる(お祭り色の強い、柔軟な)パレードをやりたいと、新団体が設立され、今年GWに「東京レインボープライド」が初開催され、成功を収めました。(そして今年の夏は…最初の話に戻ります)
他方、札幌のレインボーマーチは、2000年に一度お休みしたものの、毎年(ゲイタウンをあげて)継続的に行われ、市長自らがスピーチを行うという歴史的な快挙に大勢の人が涙し、「9月の三連休は札幌に行くのが楽しみ」というファンが全国にたくさんいました。が、そんなレインボーマーチ札幌も、今年はお休みで、来年の開催をもってファイナルとすることが発表されました(本当に残念です。ゴトウは必ず行きます)
2006年、大阪で初めてパレードが開催されました。初回にして約1200人もの人が参加し、御堂筋を虹色に染上げました。
同じ年、同じ関西の神戸では、地元の「神戸まつり」というお祭りに1フロートとして参加するという新しいやり方で「神戸LGBTIQプライドマーチ」が行われました。以降、約5回ほど行われました。このスタイルは福岡にも飛び火し、2007年と2008年に「博多どんたく港まつり」に参加する形で「クィアレインボーパレード福岡」が開催されました。
そして今年の10月27日、名古屋で初めて、パレードが開催される予定になっています。
これからも新しい町でパレードが行われていくことと思います。