FUTONに入ったきっかけ
ガイド:はじめまして。“Momokomotion”というネーミング、好きです。Locomotionっぽい(笑)。
Momoko:
この名前はFUTONを脱退してから、私のマネージャーをしてくれたアメリカ人プロデューサーのTim Carrさんにつけてもらったのですが、MomokoとCommotion(騒動)とを合体させた言葉なのです。
ガイド:
以前、All AboutでFUTONについては書かせてもらいましたが(その時の記事はこちら)、先ずはFUTON時代のMomokoさんのお話から聞かせてください。FUTONに加入したきっかけは?
<FUTON 日本デビューアルバム(2005年)>
Give Me More! (Amazon.co.jp)
01. Rich, Baby
02. Love So Strong [2nd]
03. That Look In Your Eyes*
04. Tokyo Sunset [1st]
05. Dead Husband Collection [2nd]
06. My Machine Gun [2nd]
07. Hubble [2nd]
08. High [2nd]
09. Talk Of The Town [2nd]
10. Yulay Butterfly [1st]
11. Guessing Game [2nd]
12. F*uck Machine [1st]
13. Suitcase [2nd]
14. Gayboy(Pramface Club Mix) [1st]
15. Rich, Baby (Pramface Remix) [2nd]
Rich, Baby (Video Clip)
Momoko:
たまたまBeeくんと同じアパートに住んでいたのです。そこで、自分の音楽作品などをBeeくんに聞いてもらったりしている内に、FUTONに入ることになったのです。
ガイド:
僕がFUTONに興味をもったのは、FUTONのメンバーにPaul Hampshireがいたからです。彼が在籍した「Panache」のアルバムを所有していたので。Panacheは当時、日本でも、いや日本で、Japan、Duran Duranという流れで、女子に人気のニューロマ系バンドでした。特にPaulは美少年として人気がありました。
Momoko:
Beeくん(Paul)がいたPanacheのことは、FUTONに入るまで知りませんでした。入ってからPanache時代の写真を見せてもらったり、日本での話は聞きましたけど。女の子に人気のアイドルだったみたいですが、本人は女の子には興味がなったようです。
ガイド:
最初からバンド活動をするためにタイに行った訳ではなかったのですね?
Momoko:
最初はタイの企業で働いていました。通訳とかもしていました。
ガイド:
タイに渡ったのはいつ頃のこと? どうしてタイに行こうと思ったのですか?
Momoko:
タイに行く前はサンフランシスコのアートスクール、San Francisco Art Instituteに留学していました。本当はそのままニューヨークに行って住みたかったんですけど、2000年にミレニアムイヤーに変わる瞬間を祝おう、という友達と一緒にバンコクにきて、そのまま住み着いてしまいました。
ガイド:
実は凄い昔の話ですが、僕もサンフランシスコ郊外に4ヶ月ほど居たことがあり、思い入れのある街です。FUTONというネーミングはどこから来たのですか? メンバーに日本人がいることと関係あったのでしょうか?
Momoko:
いいえ、Beeくんがちょっとバカバカしい80年代っぽい名前としてつけました。80年代、FUTONというのはインテリアとして使うベッドで、イギリスとかでクールなトレンドだったみたいです。