テクノポップ/アーティストインタヴュー

元FUTONのMomokomotionさんインタヴュー(2ページ目)

伝説の日・英・泰バンド、FUTONのメンバーでもあったMomokomotionさんに登場していただきました。FUTON時代の話から現在まで、そしてタイの音楽や文化といろいろ語っていただきました。

四方 宏明

四方 宏明

テクノポップ ガイド

テクノポップを中心としたレコード蒐集癖からPOP ACADEMYを1997年に設立。2016年に『共産テクノ ソ連編』を出版。さらに、プロダクトリサーチャーとして、商品、サービス、教育にわたる幅広い業種において開発コンサルティングに従事。Twitter(hiroaki4kata)も随時更新。

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FUTONの中での役割

ガイド:
FUTONの中でMomokoさんはどのような役割を? CDを見返してみると、クレジットがFUTONになっているので、誰がどの曲を作ったのか分からないのですが、ソングライティングもしていたんですよね。

Momoko:
futon

FUTON

基本的にはDavid(David Coker;FUTON時代はDavid Futon)が作曲、Beeくんが作詞していました。Davidはトラックを作ったり、サウンドの方向性をまとめたり、レコーディングしたり、音楽プロデューサー的な感じです。Beeはバンドのビジュアルやコンセプトを考えたり、歌詞を作っていたんです。バンドを始めてから、私もだんだんFUTONの曲を書くようになって、この中だと「Love So Strong」「That Look In Your Eyes」「Dead Husband Collection」の作曲、「High 」「Yulay Butterfly」の作詞作曲、「Guessing Game」の作曲、「Suitcase」の作詞作曲を担当しました。

ガイド:
FUTONは当時、エレクトロクラッシュ全盛だったこともあって、そのような紹介のされ方もされていましたよね。そういう部分もあったと思いますが、グラムロック的な要素が強かったと僕は感じましたが、バンドとしてはどんな方向性でやっていたのですか?

Momoko:

そうですね。始めた時は、BeeくんとDavidが隔月でやっていたREHABというエレクトロをかけるクラブナイトのためのバンドとして始めたんです。 エレクトロは今みたいにメジャーじゃなくて、エレクトロクラッシュがアンダーグラウンドで流行っていた頃です。最初はロックバンド的なものじゃなくてトラックを流すだけというスタイル。始めた時のコンセプトはそういう、いわゆるバンド的なことをしないという精神がパンクというものでした。だけどクラブ で演奏していたのが、だんだん大きなステージでもやるようになってきて、ドラムが入ってきたりすると、確かにグラムロック的なバンドになっていきましたね。でも、元々みんな70~80年代の音楽が大好きなんですよ。
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