なぜ、悲劇は起きたのでしょうか
こんな状態ですから、当然ながらこの物件はもともと入居率も非常に悪い状態でした。そして、今回の件で2階に住んでいた別の入居者は逃げるように退去していき、他の部屋も貸すことはできません。オーナーさんは家賃収入がなくなり、それどころか以前の入居者の仮住まいの家賃まで支払わなくてはなりません。しかもオーナーさんは保険料を節約しようと考えていたようで、損害保険にも全く入っていなかったのです。今回の事故は保険の特約などでカバーできる可能性もあったのですが、一切備えをしていなかったため、今後発生してくるであろう補償は全てオーナーさんご本人がかぶらなくてはいけません。
賃貸物件はいわゆる自主管理で、集金を委託することもしておらず、空室が出るたびに近くの不動産屋さんに客付けしてもらっていました。紹介する不動産屋さんが部屋ごとに異なり、そのために契約書もまちまちで、しかも一部の契約書は紛失して見当たりません。入居申込書の控えなども残っていません。
オーナーさんには奥さんと娘さんがいましたが、奥さんは賃貸経営には全く関心がなく、娘さんは結婚して専業主婦をしており、やはり賃貸経営には興味がありません。それどころか、オーナーさんご自身もただ不動産を所有しているというだけで、賃貸経営にまるで関心がないような状態だったのです。こんな状態のまま物件を次の世代に引き継いだとしても、不幸な結果になるだけでしょう。
オーナーさんから相談を受けた私は、まず応急措置として外階段と廊下を全面的に改修し、併せて劣化した建物に手を加え、空室対策を行うことを勧めました。また、生い茂った雑草は全て引き抜き、ゴミは処分するなど日常の清掃を徹底してもらい、建物の環境を整えました。手を尽くして入居者を募集し、滞納しがちの入居者には頻繁に連絡して入金をお願いしました。
2棟の建物については、収益をある程度改善させた時点で敷地を2分割し、巨額の賠償に備えて1棟を売却する準備を行いました。幸いオーナーさんは、賃貸アパートの他に、都内に広めの自宅を持っておられました。賠償請求があった場合には、この自宅を賃貸兼用の住居に建て替えて生活設計を見直し、補償費用を捻出することにしました。
ただし入院中の配達員の方は後遺症が出るおそれもあり、病状が安定するまでは請求額も確定しません。こうなってしまった以上、オーナーさんにできるのはひたすら誠意を見せることだけです。ずっと元気に働いて来られた方が、50歳を過ぎて半身不随となってしまったのです。ご本人にしてみれば、いくらお金をもらおうと取り返しのつかない悲劇です。
オーナーさんは何度「会いたくない」と断られても、定期的にお見舞いに伺い、あるいはお手紙を出し、「申し訳ありませんでした」という気持ちを前面に出さなくては、決して許してもらえないでしょう。
このオーナーさんは大切な資産の運用のやり方を間違ってしまったのです。ご自分の建物に愛情を抱いて手間をかけることをせず、目先の修理費用や保険料を惜しんだために、結果として数千万、あるいは億単位になるかもしれない損害賠償の請求におびえるはめになったのです。賃貸経営に必要なコストを惜しんだことが招いた悲劇だったといえます。