世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ブリュッセルのグランプラス/ベルギー(2ページ目)

ブリュッセル旧市街に広がるグランプラスは、「世界でいちばん豪華な広場」「絢爛たる劇場」「小さなパリ」等の称賛を受ける美しい広場であると同時に、中世の商人や手工業者たちがその自治と伝統を守り抜いた誇り高い街でもある。今回はベルギーの世界遺産「ブリュッセルのグランプラス」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ブリュッセルの歴史 1. ギルドの繁栄

グランプラスとフラワーマーケット

2年に一度、8月に開催されるフラワーカーペットでは、グランプラスが花に満たされる

ドイツ、フランス、オランダを結ぶ要衝にあるブリュッセルは、10世紀頃から発展をはじめ、商業の急成長によって繁栄した。繁栄を支えていたのが「ギルド」と呼ばれる同業人組合だ。

ギルドは職業別に集まった組合組織で、たとえば商人や貿易業者が商人ギルドという組織を作り、商業を独占することで価格や流通量を自在に操り、王や都市にさえ特権的な身分を要求した。貿易都市・ブリュッセルが繁栄したのは、こうした商人ギルドや、それによって集まってきた手工業者のギルドのおかげでもあった。

ブラバント公の家

他のギルドハウスとは雰囲気が異なる「ブラバント公の家」。歴代19人の公爵の銅像が並んでいる

ギルドたちは街を守り、何より自治を愛した。ドイツやベルギーでは国家としてまとまることがあまりなかった代わりに、都市がそれぞれの特色を活かして産業を育み、発展した。これはアントワープやブルージュ(ブルッヘ)も同様だ。

12~13世紀にはグランプラスの辺りに市庁舎が造られ、ギルドが続々とその周辺に集結した。現在残っているグランプラス周辺の建物は、それぞれの職業の組合員が集まるギルドハウスだった。ブリュッセルは14世紀にブラバント公国に組み込まれると、宮廷がブリュッセルに移され、フランドル(フランダース)地方の中心地として栄えていく。

 

ブリュッセルの歴史 2. いまに伝わるグランプラス

グランプラスの夜

ライトアップされたグランプラスの夜。夜遅くまで喧噪は終わらない

15世紀には「太陽の沈まぬ帝国」を築き上げたハプスブルク家の領地になる。ハプスブルク家はカトリックの盟主。当時ブリュッセルはプロテスタントが優勢で、ハプスブルク帝国(スペインやオーストリア)はこれを弾圧し、やがて宗教革命へと通じる激しい対立に巻き込まれてしまう。

これ以後ブリュッセルは、ネーデルランド(オランダ)の一部になったり、ハプスブルク帝国に組み込まれたり、フランスの支配下に入ったりと、混迷の時代を迎える。

ギルドハウスの装飾

ギルドハウスの美しい彫像 ©牧哲雄

特に1695年のフランス王ルイ14世による侵略は徹底したもので、このときの砲撃で市庁舎以外のほぼすべての建物が焼失した。しかし5年後には、ギルドを中心として都市は再興され、二度と燃えないようにとギルドハウスは石によって再建された。

その後も宗主国は二転三転するが、ブリュッセルはその伝統を守り、中世の形をそのままとどめていまに至る。1830年のベルギー独立に際して、ブリュッセルはついにベルギーの首都となる。

実はその後も都市開発などによって、グランプラス周辺は何度も消滅・改築の危機にさらされた。ギルドはすでに消滅していたが、街を守ろうという人々の結びつきは、グランプラスと共にいまに伝えられている。
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