イエ、ムラ、カイシャの縁が薄れていったわけ 

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旧来の「縁」を失った人が増えている

流行語ともなった、現代社会を象徴する言葉「無縁社会」。NHKでは同名のドキュメンタリー番組内で、自殺等で死亡した人の中には身元が分からず遺体の引き取り手のない「無縁死」が3万2千件にも上る、という現実を報じました。また、朝日新聞では単身世帯の増加と超高齢化社会の到来を迎え、「個」に生き「孤」の問題と向かい合う人々の現実を「孤族の国」と題してシリーズ化し、報道しています。

印象的なキーワードで現代の問題点を指摘することは、報道の特質であり、意義のあることだと思います。ただ、「無縁社会」「孤族」という言葉からは、家族や地域、仕事との「」を失えばたちまち孤独になり、誰に頼ることもできないような非常に閉塞的で虚無的なイメージを受けてしまいます。

旧来の「縁」に頼りたくない人が増え、孤独のうちに老いや死の問題に直面する人が増えていることは事実です。しかしそれはそもそも、旧来の「縁」に頼ることより、個としての自分を守りたい、高めたいと願う人々が増加したことの表れでもあると思うのです。

旧来の縁を薄くさせてきた社会の変遷 

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かつては「男は仕事、女は家庭」と役割と縁が定型化されていた

戦後日本は、政府と銀行、企業が相互に支え合って経済成長を成し遂げてきました。

会社組織に所属し、労働力の担い手となる男性は終身雇用制年功序列制度の恩恵により安定収入を享受できました。同時に会社組織に自分のアイデンティティを同化させ、週末まで会社との縁を重んじる男性が増えてきたのです。一方で家庭では専業主婦である妻が家事、育児、介護の労働を一手に担い、近隣や縁者との相互扶助など、家庭と地域の献身的な奉仕に従事してきたのです。

ところが、このような典型的な日本型社会は90年代に入って変わり始めました。その背景には、雇用システムの変化と働き方の多様化、都市化社会の進展、女性の意識変革と社会進出、情報化社会の進展などが大きく影響しています。

社会の変容に伴って人々の生き方、家庭のあり方への意識も多様に変化し、イエ、ムラ、カイシャの「縁」を重視しない「」を重視した生き方が徐々に増えてきました。「無縁社会」「孤族」という負の局面も、まさにその流れのなかで顕在化してきたものです。

「個」を重視した生き方が増えているわけ 

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縁から去ったのは使い勝手が悪いからなのでは?

従来型の「縁」からの離脱者が増えたのは、そこに不自由さがあり、「使い勝手」が悪くなったからでしょう。

イエ、ムラ、カイシャの縁に属せば、何かのときに扶助してもらえる安心感はたしかにあります。しかし、「長男」「嫁」「上下」等の役割に束縛され、個人の望みなど聞き入れられない息苦しさがあります。個性ではなく社会的評価で人が判断され、不条理な因習にも盲目的に従わなければならない不自由さもあります。一見温かく見える関係も、内実は序列構造や競争意識が渦巻き、身の置き所のない窮屈さを抱える人も多いはずです。

」を重視して生きる人が増えたことは、従来の社会の不の局面から解放されたいと願う人が増加していることの証左でもあります。とはいえ、その生き方は甘いものではなく、「人生晩年での孤独」という課題があることが近年になって露呈してきたということなのでしょう。

たしかに、「無縁社会」「孤族」という負の側面だけを見れば、「個」で生きることは恐ろしいことに思えます。しかし、そこを拡大視して警告を発し続けたとしても、元のままの「縁」に戻りたい人がどれだけいるでしょうか? むしろ、課題があるなら整理し、従来の縁を「使い勝手」のいいものに変えていくこと、または他の縁の利用を考えていくことが大切なのではないでしょうか。