テクノポップ/アーティストインタヴュー

時空を超えた中将タカノリ君(2ページ目)

ジュリーが原点で音楽を始めた中将タカノリ君、S-KLAPPの田中友直さんのプロデュースでソロ・アルバム『PLASTIC JUWELRIES』(グルーヴあんちゃんのリミックスもあり)で華々しくデビューです。古くもあり、新しくもあるこのカオス。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

ジュリーに稲妻のような衝撃を

ガイド:
ロカビリー、GS、ジュリーといったものにハマっていったきっかけは? 年齢を考えても、タイガースをリアルタイムで聴いていたとは思えませんし。

タカノリ:
僕は1984年生まれなんですが、11、2歳の頃に音楽雑誌を読んでたら当時全盛のビジュアル系ミュージシャンの対談記事があったんです。そこで「誰に影響うけた?」
「ジュリー」みたいなやりとりがありまして…
子供心に「こんな有名ミュージシャンに影響をあたえるなんてどんなやつだ!?」と思ってお小遣いためてベスト盤を買いに走ったんです。ジャケットといい曲といい稲妻のような衝撃を受けました。

ガイド:
稲妻のような衝撃・・・なかなかいい表現ですね(笑)。

タカノリ:
それ以来、沢田さんやそれ関連のCDを買いあさるようになったんです。沢田さんは50’S~80’Sあたりまでのいろんなサウンドを取り入れているので、いろんなものを聴くという意味ではとてもためになりました。学校の同級生との会話はまったくかみ合わなくなってしまいましたけど(笑)。

あと18歳の時に関西のロカビリーシーンでは有名なライナスさんという人の乗ってるタクシーに追突してしまったことがきっかけになってそういう系のイベントに顔を出すようになったり…

GS方面では20歳でザ・タイガースの先輩バンド「リンド&リンダース」の加賀テツヤさんに知り合って面倒を見てもらうようになっていろいろ知識が深まっていきました。

悪魔のようなあいつ

ガイド:
僕の年齢でなんとか小さい頃にタイガースをテレビで見ていたぐらいです。ジュリーが主演していた三億円事件ドラマ「悪魔のようなあいつ」はしっかり見ていました。確かその頃、タイガース(解散していた)が好きな友達が二人いて、タカヤマ君はカッコがまんまジュリーで、オオナワ君は家に行くとPYGとか井上堯之ばかり聞かされました。

タカノリ:
リアルタイムで当時のジュリーを見れたというのがとってもうらやましいです。僕も20歳前後は「悪魔のようなあいつ」の沢田さんみたいなファッションをしてました。ベルボトムにサスペンダー、ストローハットの3点セットで(笑)。

ガイド:
ジュリー・ファッションってアイテムとかが決まっていて、ポイントを押さえれば気分はジュリーみたいな。今のLady Gagaとかにも通じるものがあります(笑)。

タカノリ:
今でも真似はしたくないけど、沢田さんのような高みに挑んでいきたいという気持ちは常にあります。まわりの友達にも「ジュリーが好き」と言い続けてたら、紹介してくださる方があらわれて、2008年の「人間60年ジュリー祭り」ではその他大勢ですがバックコーラスをつとめさせていただけたりもしました。あとは僕の曲を沢田研二さんに提供させていただけるようになったりしたらウハウハなんですけども…

ガイド:
じゃ、やはりジュリーがきっかけで音楽を始めようと?

タカノリ:
はい。実は初めて音楽をしたいと思ったのも、沢田さんのライヴビデオを見たのがきっかけなんです。サウンドとかはあとまわしで「こんな華やかなステージに立てるようになりたい!」と(笑)。だからこれまでバンドは何個かやってきたけど、正直言ってバンドマン志向は全然ありませんでした。自分で作る曲や歌詞に対するこだわりが強すぎることもあるのかも知れないけど、バンドで音楽を作るとどうしてもはじめの意思と違ったものになりやすかったですし人間関係もめんどくさくなりがちだし…。「とにかく華やかに歌いたい」というのが沢田さんにあこがれた僕の原点なので、今のソロ活動はとても気が楽です。
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