2013年2月19日の火災前の情報です。
※2014年10月20日から同地にて新店舗での営業を再開
蕎麦通、蕎麦好きの聖地「かんだやぶそば」
神田淡路町・須田町の一画、かつての町名「連雀町(れんじゃくちょう)」は、私も含めて老舗店マニアにはたまらない飲食店が点在します。100年店の密集度合いでいえば、浅草に次いで多いエリアでしょうか。地下鉄丸ノ内線「淡路町」と都営新宿線「小川町」が交差するA3出口は、そんなエリアへの入口でもあります。
そのA3出口から2、3分ほど歩くと、日本中の蕎麦通、蕎麦好きの“聖地”とも評される「かんだやぶそば」が出現します。
歴史を感じさせる板塀や、ふんだんな緑の植え込み。風流な外観は聖地を感じさせるに充分な風格です。ランチタイムには、黒塗りの高級車が外で待機していることもしばしば。「政治家とか財界の偉いさんが来ているのか?」などと想像が膨らむ一店ですね。
100年店の特徴の1つに、「面構えに威厳がある」ことが挙げられますが、こちらはA・B・Cランクで言うとAの上のSランクを付けたい印象です。文化財としてしっかり保存してほしい、そんなことを思い調べてみると、「かんだやぶそば」を含めて近隣の「いせ源」「竹むら」「ぼたん」「まつや」の5軒の飲食店は、東京都の歴史的建造物に指定されていました。やはり……。
創業は1880年(明治13年)
かんだやぶそばの創業は1880年。本郷団子坂にあり、竹藪が多かったことから通称“藪蕎麦(やぶそば)”と呼ばれていた「蔦谷」の支店として、連雀町に店を構えたことが始まりです。
その1880年とはどんな年なのか……。京都-大津間の逢坂山トンネルが完成し鉄道が開通します。こちらは外国人技師に頼らず、日本人技師のみで竣工させた初のトンネル工事となります。札幌~手宮間にも北海道初となる鉄道が開通。同年は鉄道にとっても意味の大きな年でしょうか。また「君が代」が完成し、国歌として初めて演奏されたのもこの年のことです。
かんだやぶそばはこの年、屋号「藪蕎麦」でスタート。その後、団子坂本店の廃業を受けて、本店の看板を受け継ぎ、今に至っています。ちなみに1914年(大正3年)に「浅草並木藪」、1954年(昭和29年)にその浅草並木藪から分家した「池の端藪」と枝分かれ。この3軒は、“藪蕎麦御三家”と呼ばれたりもしています。
では“藪”の系譜、現存する源の店へと参りましょう