注目されはじめたのは大正時代から
しかし、木喰さんの作品は、立派なお寺のお堂に祀られる仏像とは違って、庶民的なもので、造っていた当時、木喰さんの名が広く知られていたわけではありません。芸術というものは、それを造る人とその価値を認める人がいてはじめて成立するもので、誰かが「発見」しなければ、どんなに優れた作品であっても、そのまま埋もれてしまうことも多いものです。木喰さんが彫った仏像の素晴らしさを発見したのは、大正から昭和にかけて活躍した文化人の柳宗悦氏です。この方は、それまでありふれたものとしてかえり見られることがなかった日本各地の民芸品や朝鮮半島の陶磁器類などに光を当て、その魅力を世に知らしめる「民芸運動」という活動をした方です。この人は、たまたま山梨県の知人宅にあった木喰仏を見て感動し、日本各地に残されている木喰仏を調査して歩かれました。現在のわたしたちが、あちこちの展覧会などで木喰仏を見ることができるのは、実は、この柳さんのおかげなのです。
木喰仏の魅力とは
夢見るような微笑を浮かべる如意輪観音(新潟県、小栗山観音堂蔵)
また、木喰さんは早彫りでも知られます。昼は仕事をし、夜、蝋燭の灯りの下で、一晩に3体もの仏像を彫り上げたとか。力強くてシンプルなラインを見ていると、迷いなく一気に彫り上げる木喰さんの姿が目に浮かびます。