都心から25キロ圏、
江戸時代には水運で栄えた街

江戸川

江戸川の対岸は埼玉県。川沿いには江戸時代から栄えた味醂の工場などがあり、今も操業している

最初に千葉県流山市の位置と足回りを見ておきましょう。首都圏中心部から見ると北東、約25キロ圏にあります。千葉県内では北西部に位置し、北に野田市、南に松戸市、東は野田市に接しており、西は江戸川を隔てて埼玉県三郷市、同吉川市と面しています。





東武野田線

船橋~大宮間を結ぶ東武野田線。以前はこの路線を利用、柏へ買い物へ出る人が多かった

市内を走る鉄道は武蔵野線(市内にある駅は南流山のみ、以下同)、東武野田線(駅は初石、江戸川台、運河の3駅)、流鉄流山線(駅は鰭ケ崎、平和台、流山の3駅)とつくばエクスプレス(南流山、流山セントラルパーク、流山おおたかの森の3駅)。地図を見てお分かりいただけるように、常磐線の南柏は市内に近い場所にあるものの、2005年(平成17年)につくばエクスプレスができるまでは都心直通の路線がない街でした。




流山市と市内を走る鉄道などの位置関係
流山市と鉄道路線

赤線内が流山市。実際には飛び地などもあり、周辺他市とはかなり入り組んでいる。スペースの都合から路線と駅名のみを記載。距離、位置関係などは正確ではありません

 

利根運河

東武野田線運河駅近くに残された利根運河。遊歩道が整備されており、この地を利用して朝市など。桜の名所でもある

この理由のひとつに、江戸時代以降、流山は利根川(江戸時代の利根川は東京湾に注いでおり、以降江戸幕府の治水事業によって東へ、東へ移動、現在の位置に至っています)を利用した水運の街であったことが挙げられます。その後、明治期に船舶が大型化し、河川航行が難しくなったなどの理由から、交通の主流は陸運に向かうのですが、これは後日の見方。政府は利根川(すでに東遷済み)と江戸川の間に利根運河を作ることで水運のルートを確保しようとします。しかし、せっかくの運河もその後の関東大震災による船舶の被災などで通行量は激減、水運は衰退します。

流山電鉄

1編成ずつ愛称が付けられ、なんとも愛嬌のある雰囲気の流山鉄道。西武鉄道の古い車両を利用しているそうだ

もちろん、明治期には鉄道の重要性は認識されており、特に1911年(明治44年)の野田~柏間の県営鉄道の開通に刺激を受け、地元では鉄道設置への動きが始まります。その結果、地元住民が株主になって会社が作られ、生まれたのが流山軽便鉄道。現在の流山電鉄で完成は1916年(大正5年)でした。しかし、地図からも分かるように、この路線は地元の利便性アップにはおおいに貢献したと思われますが、都心とのアクセスとしては今ひとつ。もちろん、その時代には今のような都心集中の社会は想像されていなかったのでしょう、仕方のないことです。
 


昭和30年代以降一戸建ての団地が増加、
2005年のつくばエクスプレス開業で都心と直結

江戸川台駅前の碑

東武野田線江戸川台西口にある、江戸川団地建設10周年記念の碑

その後、流山の変化のきっかけとなったのは1953年(昭和28年)常磐線南柏駅、1958年(同33年)の東武野田線江戸川台駅の開設です。足回りの利便性アップにあわせ、1958年、江戸川台に千葉県住宅供給公社によって県内2番目となる住宅団地、江戸川台団地が作られます。公社のホームページによると、ここは計画人口8448人、計画戸数2223戸という大きなもので、以降、野田線沿線には大型の住宅団地が続々と登場していきます。市のホームページによれば、1954(昭和26年)に流山町が誕生した時に1万8000人だった人口がその後の16年で4万26649人に増加し、市に昇格したとありますから、この時期は人口激増といってもいい時代だったようです。

流山おおたかの森ショッピングセンター

つくばエクスプレス流山おおたかの森駅前のクリスマスイルミネーション。ショッピングセンターができ、生活の利便性は大きく向上した

そして、再度の人口増のきっかけになったのが記憶に新しい、2005年8月のつくばエクスプレスの開業。市内には南流山、流山セントラルパーク、流山おおたかの森の3駅が登場、秋葉原までが20~25分で結ばれることになります。その結果、人口は2009年で10.6%増、2010年で13.7%増。もちろん、同沿線の他市でも、柏市4.3%、八潮市7.3%、三郷市1.2%などと増加はしていますが、増加率の高さでは流山市が群を抜いています(数値はいずれも各市ホームページより算出)。


とすると、この人口増の背景には利便性アップだけではない理由がありそうです。そこで次のページでは流山市の子育て支援策など、利便性以外の点を調べてみました。