高台と海のある街大森には
縄文時代から人が住んでいた

駅東側

大森駅東側。ロータリーの周囲には大規模商業施設や飲食店などが集まり、緑も濃い

京浜東北線は台地と低地の間を走る路線です。大森駅(大田区)も同様で、駅の西側は並走する池上通りを渡ると台地、反対側、東側はかつての海苔の養殖場として有名だった大森海岸へ続く低地です。

 

大森貝塚

大森貝塚遺跡庭園のモース博士像。縄文時代の地図など参考になる掲示も多い

この街の歴史の古さを物語るのは明治10年(1877年)にアメリカの動物学者モース博士によって発見された大森貝塚です。縄文時代後期から晩期(約4000年~2300年前)のものとされ、この地が海辺であったことを如実に示しています。現在、貝塚の見つかった辺りは国の史跡になっており、隣接する品川区の大森貝塚遺跡庭園では発掘された土器のモニュメントなどを見ることができます。

 

海苔店

かつて、大森周辺の海岸では海苔の養殖が盛んだった。それを記念して大森海苔のふるさと館も作られている(最寄駅は平和島)

もうひとつ、この地の歴史を感じさせてくれるのは池上通り西側、JR大森駅から環状七号線を挟み、都営浅草線の馬込、西馬込駅の間に広がるエリアです。このエリア内には源頼朝の家来、梶原景時が建立した茅葺屋根の山門がある寺社や、明治~大正にかけてこの地に住んだ作家、画家、書家などを偲ぶレリーフや旧居跡の掲示などが残されており、馬込文士村とも呼ばれています。大森駅西側にあるミルパショッピングモール内の区の観光協会案内所には、こうした面影を辿って歩くためのマップなどが用意されており、街歩きを楽しむ人も多いと聞きました。

 

東側には整然とした区画、
大規模商業施設やオフィスビルにマンションが

第一京浜

大森海岸から大森町までの第一京浜沿いには規模の大きなマンションが建ち並んでいる。首都高の入り口もあり、車利用も便利

では、実際の街の様子がどのようになっているのかを見て行きましょう。まず東側ですが、このエリアの東端を走っているのは第一京浜。道路の両側にはマンション、ビルなどが建っていますが、そこを抜けてさらに東に向かうと平和島、勝島、昭和島、さらには大井埠頭などとなっており、一般の居住エリアとは違う街が広がっています。勝島近くには子どもに人気のしながわ水族館があり、週末には賑わいます。

 

東側

東側の大森海岸通り沿いにはスーパー、大きなアトリウムを持つ大森ベルポートなどの複合施設が並ぶ

第一京浜と並走する京浜急行線の大森海岸駅から大森駅の間は、大森海岸通りを中心に大手企業の本社ビルや大型商業施設が並ぶ、整然とした雰囲気の街。飲食店なども多く、買い物にも便利な場所です。通りから一本入ると住宅街で、マンションが大半です。

 

飲食店街

京浜東北線の線路沿いには東西ともにこうした飲食店街が昭和な雰囲気を醸し出している

東側にはバスターミナルのあるロータリーがあり、飲食店などが集まっています。また、駅から南には東西にミルパショッピングモールが伸びており、新旧さまざまな店舗が。雰囲気のある料亭などの飲食店、海苔店などに歴史を感じます。線路近くにはスナックなどが集まる飲食店街もあります。

 

西側の池上通り沿いには長い商店街、
坂の多い一戸建て中心の住宅街が

大森駅西口

いささか狭苦しい駅西口。拡幅しようにも台地が迫っており、土地がない

続いては西側。駅を出るとすぐに池上通りが走っており、東側に比べるとロータリーというほどのスペースはなく、かなり狭い感じ。通り沿いには商店街がありますが、主に飲食店と大規模店、証券会社や銀行などが中心です。

 

ダイシン百貨店

地元資本のダイシン百貨店。大きな駐輪場などがあり、周辺からの買い物客も多い

池上通り沿いの商店街は駅から南、環状七号線に向かって延々続いてはいます。地元では有名なダイシン百貨店もこの通り沿いにあり、取材に行った日にも賑わっていました。が、通り沿いにはシャッターをおろした店舗も多く、いささか寂しい雰囲気も。古い店が多く、世代交代などがうまく行っていないのかもしれません。

 

公園

品川区の大森貝塚遺跡庭園。住宅地内の緑は濃いが、まとまった敷地のある公園はこのエリアでは少ない

同じ池上通りでも反対の、駅から北側は地元でジャーマン通りと呼ばれる道路を越えた辺りから住宅が増え、緑の多い静かな雰囲気に。大森貝塚遺跡公園はそうした緑の中にありました。こちら側は少し行くと品川区。大田区山王と品川区大井が接しています。

 

ジャーマン通り

池上通りと直行、都営浅草線馬込駅方面に向かうジャーマン通り。通りの右手が高台になっている

ジャーマン通りはかつて東京ドイツ学園があったことから名付けられており、明治から大正、昭和初期にかけてのこの地は、海を望む別荘地。外国人、政財界人などが別荘を構えており、しゃれた洋館などが佇む、ハイカラな街だったと聞きました。

 

高低差

坂を下ったところが駅前。大きな高低差があることが分かる

馬込文士村と呼ばれるエリアの入り口は駅正面の天祖神社脇の坂道。壁には当時このエリアに住んだ文豪たちの顔やダンスパーティー風景などが刻まれたレリーフが飾られています。ただ、日本画家川端龍子や小説家尾崎士郎など何人かの旧宅が記念館として残されてはいるものの、それ以外はごくあっさりした碑があるだけで分かりにくいので、区のガイドブックなどを見ながら歩くのが賢明でしょう。

 

和辻哲郎旧宅の掲示

ちょっとがっかりしてしまった哲学者、文学者和辻哲郎旧居の掲示。どんな人が住んでいたかを挙げだすときりがないほどだ

このエリアにはこうした芸術家たちの住宅とは別に、古くからこの地にお住いの方々のクラシカルな洋館や日本家屋がところどろこに残されており、それを見て歩くだけでも散歩が楽しめます。ただし、かつて九十九谷と呼ばれたことがよく分かる、坂の多い場所ですから、歩きやすい恰好で行かないと大変です。

 

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