わたしたちが大切にすべき「いのち」ってなに?
生まれたこのいのちが大切なのはなぜ?
この「いのちの日」にちなんで、このサイトでも「いのちの大切さ」について考えてみたいと思います。
私たちは、日ごろよく「いのちを守ろう」「いのちを無駄にしてはいけない」という言葉を耳にします。しかし、そもそも大切にすべき「いのち」とは何のことなのでしょう? 生きている身体のことでしょうか? 私たちが物を考える脳のことでしょうか? それとも受け継ぐべき血脈のことでしょうか?
私は、そのヒントになるいい言葉に出会いました。聖路加国際病院理事長の日野原重明先生の著書、絵本『いのちのおはなし』(講談社)のなかの次の言葉です。
「いのちは、きみたちのもっている時間だといえますよ。」
「いのち」とは「時間」のこと!?
「時間」をつかうことは「いのち」を使うこと
この授業で、先生は聴診器で子どもたちにお互いの鼓動を聴く体験をさせ、「いのちってどこにあると思いますか?」と尋ねます。
そこである子どもは、死ぬまで鼓動を刻む心臓こそいのちだと答えます。しかし先生は、心臓は「いのちそのもの」ではなく、「いのちを動かすためのモーター」にすぎない、というのです。
心臓が止まったら、なくなるのは何でしょう? 実は、その答えこそが「いのち」の本質。日野原先生は、いのちとは「これから生きていく時間」なのだと答えています。
このことから、「自殺」の意味を考えてみるとどうでしょう? 私は、自殺とはこれから先の自分の時間に希望が見出せず、時間をそこで手放さざるを得なくなった状態、と言い換えられると思います。では、「他殺」とは? これから先使えるはずの他人の時間を理不尽な手段で奪い、もう二度と使えなくしてしまうこと、ではないでしょうか。