ストレス/恋愛・結婚生活・離婚問題のストレス

モラハラ夫からの離婚体験談(当事者インタビュー)

夫からのモラハラ生活と決別したさかいまみさん。彼女に離婚を決意させた事件とは? そして離婚後に知った本当の愛情と幸せとは? モラハラ夫との結婚生活、離婚準備から離婚後の生活、そして幸せを掴むまでを経験者インタビューの形でご紹介します。

大美賀 直子

執筆者:大美賀 直子

公認心理師・産業カウンセラー /ストレス ガイド

モラハラ夫との決別

結婚式

離婚後に知った本当の幸せとは……

モラルハラスメント」(精神的暴力)を経験した女性へのインタビュー。夫によるモラハラから脱し、新しいパートナーに巡り合ったさかいまみさんのお話をご紹介します。

さかいまみさん
前夫と20歳で結婚し、3人の子どもを出産。16年間の夫婦関係で、度重なる精神的暴力を経験し、36歳で離婚。派遣社員として働きながら、3人の子どもを育てる。現在は、新しいパートナーと出会い、その恋愛模様を短歌に綴っている。

―まみさんは、16年間に渡るつらい結婚生活を経験されたそうですね。
結婚前には、まさかこの人にモラハラを受けるなんて思いもしなかった……
結婚前には、まさかこの人にモラハラを受けるなんて思いもしなかった……

前夫は、私が結婚前に勤めていた会社に出入りしていた営業マンでした。とても気さくで快活な人でしたし、結婚したら楽しい家庭になるだろうなと思っていました。でも、結婚してから「あれ?」と思うような行動が増えていきました。

特に、お酒を飲むと前後不覚になるほど荒れることがあって、壁を壊したり、外で暴れて警察に保護されたこともありました。私はあまりお酒を飲みませんし、私の父もそうでしたので、酒乱の怖さがまったく想像できていなかったんですね。

結婚1年後に、前夫の資格合格の日にごちそうを作って待っていたのですが、それを無視してベロベロに酔って帰ってきたことがありました。さすがに私も怒って「どういうことよ!」と非難したのですが、その態度に前夫が逆ギレして、首を掴まれて絞められそうになったんです。前夫を「怖い」と思ったのはそれが最初でしたね。

―そして、結婚生活が進むにつれ、モラハラ的態度が目立つようになってきたのですね。
度重なる言葉の暴力。でも、この頃はまだ夫婦の絆を信じていた
度重なる言葉の暴力。でも、この頃はまだ夫婦の絆を信じていた
すぐにキレて、ケンカ腰で物を言ってくるようなことはしょっちゅうでしたし、言葉遣いが粗すぎて、威圧感を与えることはよくありました。

たとえば、結婚4年目に会社を始めてからは、経理や事務は私が一人でやり、税理士さんに褒められるほどしっかりやっていたのに、「誰の金で飯を食えてると思ってるんだ」「俺が使ってやらなきゃ、お前なんか外では通用しない」とよく言われていましたね。

産後の体をまったくいたわらず、「いつセックスできるのか、医者に聞いてこい」と言ったり、連絡もなしに友だちを大勢家に連れ込んでマージャンを始め、私と子どもを追い出すこともよくありました。

でも、まだ愛情はありましたし、私はもともと物事をマイナスに受け取らないタイプなので、そんな態度を受けても、うまく受け流していました。友だちに話すと、「私だったらとっくに離婚してるよ」とよく言われましたが、あまり深刻に受け止めていなかったんですね。だから3人も子どもを産んで、16年間も結婚生活を続けられたんだと思いますが(笑)。

―そんなまみさんの堪忍袋の緒が切れたのは、なぜですか?
メル友との会話や入院が、結婚生活を見直すきっかけに
メル友との会話や入院が、結婚生活を見直すきっかけに

きっかけは(かなり気が長いのですが)、結婚15年目(当時35歳)でした。当時、ポストペットが流行り始めた頃で、公式サイトの掲示板でメル友を募集できました。そこで知り合ったメル友に家庭の悩みを話すようになりました。

私の悩みはよくあることだと思っていたのに、男性からも「ホントにひどい」「それは普通じゃない」という意見を圧倒的に多く受けたのが、とても衝撃的でした。そして、「世間の夫婦ってこうじゃないの?」「他のダンナさんって、もっと優しいの?」と、次々と疑問が浮かんできたんです。

―それから、離婚に至る直接的な事件が起きて……。
ちょうどこの時期に、私が卵巣から大出血して緊急入院したのですが、彼はお酒を飲んで病院に来て、大声で主治医を罵倒したのです。そんな私を心配してか、病院の看護師さんが「早めに退院してもいいけど、せっかくなら入院期間を利用して、これからのことをよく考えてみては?」と言ってくれました。

前夫は、入院中に来てもいたわりの言葉一つもなく、「お前がいないおかげで、会社が回らなくて困る」と文句を言い、仕事を持ってきては「これやっとけ」と言うばかりでした。そのとき、「子どもたちには申し訳ないけど、この人との生活を一生続けていくのは無理だなぁ」と思いました。

―思いがけない入院で、結婚生活を振り返ることができたんですね。
退院後、家で待っていた夫の言葉とは?
退院後、家で待っていた夫の言葉とは?

さらに、私が離婚を決意した決定的な事件は、退院当日の前夫の態度でした。家に帰ると、私が入院していた間の仕事がダンボールに無造作に入れられてあり、臆面もなく「いつセックスできるの?」と聞くのです。

卵巣の病気なのですから、当分セックスどころじゃありません。それを言うと「セックスもできないんじゃ、家政婦と同じだよな」と冷たく言いました。この一言で、「もう一緒にはいられない」と私の気持ちは決まりました。

同時期に、長女も「お父さんと一緒にいると、心が壊れそうだよ」とポツリと言い、子どものためにも新しい人生を始めた方がいいのかもな、と思いました。子どもたちも、しょっちゅうひどい言葉を受けていましたから、離婚の意志を告げると、すぐに納得してくれました。

―そして、離婚に向けて準備を始めたんですね。
資格を取って、「離婚してもやっていける」と自信が湧いた
資格を取って、「離婚してもやっていける」と自信が湧いた

離婚となると、自分で生計を立てなけばならないのが、最大のハードルでした。家の事業の経理などはやっていましたが、就職に有利になる資格は何も持っていなかったんです。離婚を本格的に考える少し前から、パソコン教室に通ってインストラクター1級の資格を取りました。資格を持つと「なんとか子どもを育てながらもやっていけるかも」と自信が湧いてくるようになりました。

―離婚を切り出したとき、前夫の態度はどうでしたか?
猛烈に怒り、慌てました。もう一緒には暮らせないですし、アパートを決め、子どもを連れて家を出ました。離婚するまで、1年間話し合いを続けていきましたが、この期間にかなりひどい身体的暴力を受けたのです。「殺されるかもしれない」と恐怖を覚えましたが、身体的暴力は離婚を有利に進める決定的な事件ですから、「これで診断書を取れる。きれいに別れられるな」と冷静に感じたのを覚えています。

―そして、離婚が成立したわけですね。
夫から経済的に自立できたとき、初めて自由を感じた
夫から経済的に自立できたとき、初めて自由を感じた

慰謝料とマンション(夫名義)での居住権、子どもの高校教育が終わるまでの養育費をもらう条件で協議離婚しました。新入社員に引き継ぐまで、前夫の会社での仕事を続けていましたが、それが終わってからは派遣会社として働き始めました。

しかし、誓約書の内容は守られず、3年後にはマンションから立ち退かされましたし、慰謝料も結局は半分しか払われませんでした。調停申し立てもできたのですが、私は「もうこれでいい」と思うようになりました。せっかく離婚しても、夫名義の家に住んでいるとどこか気が晴れません。養育費は必要ですが、生活は全面的に自分の収入で築きたいという気持ちでした。

―離婚後の生活は苦しくありませんでしたか?
自立を手に入れた充実感の方が勝っていましたし、これからやっと自分の人生を生きていけると思いました。また、外で働くとさまざまなストレスも起こりますが、今までの結婚生活に比べたら「取るに足らない」と思うことができます。

子どもたちも、私の苦労はよく理解していると思いますが、それを敢えて私からは言いません。「お母さんは楽しんで仕事をしていて、そのお金で生活しているの。あなたたちも楽しんで働いて、そのお金で暮していけるようにしなさいね」といつも言っています。現在、子どもは21歳、19歳、16歳になりますが、自分らしい生き方を考えて歩いていっているように思います。

―そして、新しいパートナーに出会い、本当の優しさを知ることになったんですね。
「愛し合う生活ってこんなに優しい」---新しいパートナーに出会って初めて実感した

彼は、私の派遣先の年下の会社員でした。前夫のように人を傷つけるような横暴な態度は、まったくない人。何でも話し合えて、身も心も与え合える。これが、パートナーから受ける本当の優しさなんだなと、初めて知りました。

お互いに結婚の意志はあるのですが、今のペースが心地よいこともあり、しばらくは恋愛関係のままで続いていくことになるでしょうね。現在、私は平日子どもたちと家で暮らし、週末には彼とマンションで暮らしています。

―彼とは、どんな週末を過ごしているのでしょうか?

釣りに行ったり、料理を作ったり、何気ない日常をすごく楽しんでいます。料理は積極的にやる方ではないのですが、ちょっとしたことを頼んで「うわ~上手!」「助かったわ」と喜ぶと、彼も喜んでますます手伝ってくれます(笑)。

色々ありましたが、今までのつらい経験を経由したからこそ、彼と出会えたわけですし、男女のいい関係を保つために必要なことも分かりました。そして、セックスはどちらかが満足するためではなく、お互いに優しさを与え合うためにするものなんだな、と分かるようになりました。

ほんのたまにですが、前の結婚生活を思い出すと涙が止まらなくなることがあります。そんなとき、彼は私の気持ちをしっかり受け止め、悲しみを分かち合ってくれます。こんな素敵なパートナーに出会うことができた今、本当に幸せだなと実感しています。

―ご自身が受けたモラルハラスメントを振り返って、今何を感じていますか?
話し合いすらできない空気。それに耐える生活から気付いたこととは
話し合いすらできない空気。それに耐える生活から気付いたこととは
前夫とはもっと話し合う機会があれば、関係が変わっていたかもしれません。でも、経験者なら分かると思いますが、モラハラをする人とはとてもまともに話し合える空気を持てません。

事実、具体的に何か話し合おうとしても「女のくせに」や「誰のお陰で……」というように、論点がまったく違う方向に行ってしまいます。それを指摘すれば「いつから、そんなに偉くなったんだ」と言われ、結局は、私の心がけでなるべく彼を怒らせないようにし、良い風に考えることで、嫌な目に遭わないようにするしかありませんでした。

モラルハラスメントは、目には見えない心の傷をたくさん与えます。その蓄積が、長い年月をかけて信頼関係を壊します。加害者が変わらなければ改善しない問題ですが、加害者自身が聞く耳すら持てないという事実が、この問題の根深さを物語っているのではないかと考えています。

インタビューを終えて……ガイドの感想

夫婦間のモラルハラスメントでは、被害者がその被害に耐え、解決を諦めることによって冷えた関係を持続させているケースが目立ちます。しかし一方で、まみさんのようにその関係を断つことによって、新しい幸せを迎えられる人もいます。

自分の人生を切り拓くのは自分次第。自分が受けたモラルハラスメントを洞察し、どんな形にせよ被害を被害のままで終わらせないことが、新しい自分を切り拓く第一歩になるのだと思います。

※2008年3月インタビュー
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
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