大学1年生の4月に遭遇する「学修スタイルの過渡期」
今まで用意されていたものを、初めて自分で決める。案外難しい。 |
「その大学で何を学ぶのか?」
「卒業後にはどんな道があるのか?」
という視点で選ぶべきだが、受験戦争に翻弄されている日々の中、将来なんて曖昧なことを考えるのは難しいだろう。その点、「偏差値」は判り易い指標であり、それに従って大学を選べばよかった。自分の将来への意思など、関係の無いところで決められていた。
ところが、である。晴れて大学生となった4月に、学生にとっての生まれて初めての「自分の意思で決める」イベント、「履修」に直面する。今まで授業を選択するなんてことは無かったし、予備校であっても偏差値で適当にプランできた。理系の大学の中には推奨する履修プランが設定されているケースもあるが、基本的には自分の意思で履修のルールブックとシラバスを見て選ぶことになる。大学によっては、「どの授業が面白いか?」「単位が取りやすいか?」などの先輩が編集したガイドブックが売られているところもあるそうだが、きっと多くの学生は、「適当に履修してしまう」ことになる。各大学とも「履修ガイダンス」「履修説明会」などを開催しているが、そこで積極的に教員に相談できる学生なら、きっと困らない。むしろ、そのイベントで疑問をぶつけない学生の方が大半だろう。
結果、授業に出てみたものの、一般教養の授業は大教室で行う「講義型」が多く、出席を取らない授業もある。質疑応答は無く、出席だけを取って後は延々と一方的に講義を聴くだけの授業を受けることになり、もし興味を持てなければサボることになる。結果、いい成績を取れず、最悪単位を落としてしまう学生も少なからず出てしまう。教職員サイドも、成績が出てから結果を知ることになり、フォローもそれからになる。この時間差がネックである。この1年生前期における「学習スタイルの過渡期」に失敗した学生が、その後の大学生活にも失敗するケースに何度も出会ってきた。
なぜ、この「学習スタイルの過渡期」に失敗すると、その後の大学生活にも響くのだろうか。それはアメリカの心理学者マーティン・セリグマンが提唱した「学習性無力感」と、同じくアメリカの心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感」がヒントになる。
※次のページで、「学習性無力感」と「自己効力感」について学ぶ。