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教授秘書から異文化企業の社長へ

様々な国籍のスタッフが在籍する企業テンプスタッフ・ユニバーサルの社長野澤和世さん。社会に出て初めての仕事は医学部の教授秘書、英語も苦手だったという彼女が多国籍文化企業の社長になった道のりとは?

執筆者:柏木 梨花



在日外国人の紹介・派遣、日本人の海外企業への就職のサポートを行うテンプスタッフ・ユニバーサル。今年の6月に社長に就任した野澤和世さん。現在5カ国もの国籍の社員と共に事業を行っています。
新卒で就職をしたのは大学の医学部教授秘書。英語にも全く興味がなかったという野澤さんが、どのようにしてマルチカルチュアルな企業の社長になったのか。お話を伺いました。


仕事を辞めてのニュージーランド留学

野澤さんが国際的な分野に興味をもった最初のきっかけはニュージーランド留学。
ところが、もともとは英語や海外に興味はなかったのだとか。
いったいどのような経緯で留学を決意したのでしょうか?
「英語とか海外とか、全くと言っていいほど興味ありませんでした。
短大を卒業後は大学の医学部で教授秘書として働いていたのですが、7年ほど働いた頃に「転機がほしい」と思ったのです。
ずっと実家で暮らしていたので「親離れをしたい」みたいな気持ちや、ながく働いたからそろそろ息抜きがしたい、といった気持ちもありました。
それでなんとなく思いついたのが「留学」だったのです。」

なぜニュージーランドに?
「それまで全く興味のない分野だったので、どこがいいのかもわからない。先輩に相談をしたらニュージーランドが治安もよく物価も高くないということだったので、これは両親を説得しやすいと思い(笑)、ニュージーランドに決めました。」

なんとなく「転機」を求めてスタートした留学生活。
しかしいざ行ってしまえば負けず嫌いな性格も手伝って、勉強も、そして慣れない土地での生活もとことん向き合って取り組まれました。
言葉の通じない海外での生活。想像以上に大変だったそうです。迷子になるやらなにやらで毎日がトラブル続きだったそう。
そんな中で野澤さんが頼り、そして支えとなってくれたのが学校の先生。
勉強面でも生活のことでも、何かと先生を頼ったのだとか。
そうしているうちに「いつか自分もこうやって人のサポートができれば」と思い始めたそうです。


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