この記事はこのような構成になっています
1.どうして私はここにいるの? もやもやが消えなかった福島時代
2.東京生活がスタート。「派遣」という働き方を選ぶ
3.英語事務からポートフォリオマネージャーアシスタント、秘書兼翻訳、そして翻訳専任職に
4.フリーの翻訳者を目指して新しい挑戦を開始
大庭奈美子さん(32歳)
「ステキな女性」シリーズを読んでくださっている人から「ステキな人がいるので、ぜひ紹介して!」とメールが。そこで早速、お話を聞いてみることに。取材で初めてお会いした大庭さんでしたが、お話が弾み、あっという間に時間が過ぎていきました。
1.どうして私はここにいるの? もやもやが消えなかった福島時代
--フリーの翻訳者を目指しているそうですが、昔から英語が好きだったんですか?
「はい。英語だけというより、語学が好きという感じですね。大学の専攻は、文学部日本学科日本言語専攻。でも、中国語もロシア語もエスペラント語も選択してました」
--じゃあ、卒業後は語学力を生かせる就職を?
「それが、私、就職してないんです。東京にある食品メーカーから内定をもらっていて、そこに就職するつもりだったんですけど、辞退しました。というのも、4年生の時に2つ年上の先輩との結婚の話が進んでいて、彼の勤務地が急遽、福島になってしまったんです。彼もいずれ東京勤務になる予定だったので内定先の会社に別居婚を申し出たんですが、会社がダメだって」
--仕事と家庭の事情。いきなり厳しい選択でしたね
「そのときは若かったし、しばらくして東京に戻れば、また就職先はあるだろうと楽観的に考えてました。でも、結局、6年半も福島で過ごしたんですけどね」
--福島にいた時は仕事はしていたんですか?
「1年ぐらい家庭教師をして、その後は学習塾に勤めました。カリキュラム作りから教室の運営までやりましたね」
--福島時代は充実してました?
「いま思えば福島時代も楽しかったのですが、東京で働きたいという気持ちはずっとありました。私はどうしてここにとどまっていなければいけないの?食品メーカーでキャリアウーマンになっていたはずなのに…って思ったり」
--でも、勝手に東京へは行けない。自分の気持ちをどんな風にコントロールしていたんですか?
「私は1月生まれということもあって、毎年、年始めに目標を立てるようにしているんです。保母試験を受けてみようとか、TOEICを受けてみようとか」
--TOEICは900点を越えるスコアを取ってるんですよね
「最初に受けたときは740点で、2回目が820点でした。でもその後に、働いていた塾に840点の人が入ってきて、それを越えたくなったんです。私、負けず嫌いだから(笑)。それで通信教育で英語を勉強して900点を取得したら、今度は915点という人が現れた!で、また、それを越えようと頑張りました」
何かを得たために、何かは思い通りにならないということはよくあること。その中で、奈美子さんは「今」できることに全力を尽くし、それが、結果として次のステップへの基礎を築くことになったようです。