この記事はこのような構成になっています


1. バリバリの営業時代。広告営業、制作のおもしろさにハマる!

2. 転職の難しさ、主婦のパート感覚になじめず、悩んだ30歳前後

3. 仕事ぶりが認められて再び営業の世界へ。水を得た魚に

4. 家族の病気、将来の自分。納得できる人生のために転身を決意する




勝山千里さん(40歳)

私が定期的に取材をさせていただいている方の元上司。「すっごくステキな方なんです!」という情報の元、お話を伺いに行ってきました。確かにステキな方でしたよ。


1. バリバリの営業時代。広告営業、制作のおもしろさにハマる!


--学生時代の千里さんはどんなタイプだったんですか?
「いつもやりたいことがあって、人に相談せず、自分で決めていたと思います。たとえば、私が通っていた高校は大阪の女子校で、たいていの子がその上にある短大や4大に行くという学校。けれど、私は、ラジオの深夜放送で京都産業大学卒の人が大学でのおもしろいことを言っているのを聞いて、京都産業大学に行くことに。あの高校からは初めてのことだったらしいです」

--じゃあ、就職も自分の希望で?
「それが全然違う(笑)。学生の頃はアナウンサーになりたくて、大学に行きながら、アナウンススクールにも通ってたくらいですからね」

--それがなぜ?
「雇用機会均等法が施行されたかどうかというタイミングで、大卒女性を採ってくれる会社自体が少ない時代。テレビ局やラジオ局に資料請求しても、送ってくれる会社もほとんどなくてね。それで、これはダメだなと。就職した会社は、友達が受けてみるというのでついていったのがきっかけ」

--でも、納得して就職を決めたんですよね?
「実はよくわからなかった。ただ、大学の就職部に『内定出ました』って言いに行ったら、先生がすごく喜んでくれたの。そんなに先生が喜ぶんだったらいい会社なんだろうって思って入社を決めました」

--社会人のスタートは、求人誌の広告営業だったんですよね。どうでした?
「東京に配属されたんですが、入社していきなり関連会社に出向と言われ、ショックでした。『飛ばされた!』って感じ。飛び込み営業が基本で、昼の忙しい時間に喫茶店に飛び込んで水かけられたこともあります。何でこんなことやってるんだろ、って思ってましたよ」

--でも、辞めようとは思わなかった
「仕事はきつかったけど、そこは東京、バブルがはじける前。営業中に芸能人を見ることも多かったし、部が達成すると自分は何も貢献していないのにバンバン飲みに連れていってもらえるし。東京という街で生活していることがおもしろかった」

--仕事がおもしろくなったのはいつ頃から?
「入社して2年ぐらいたった頃かなあ。自分も少し大きな広告を扱えるようになって、いろんな賞を取っているすごいクリエイターさんたちと一緒に仕事ができるようになってきたのね。それがすごく刺激になったし、求人広告からポスターを作ることになったり、採用のための新しいロゴを作る話が生まれたり。自分が大きい仕事を取れば、どんどんおもしろい仕事ができることがわかってきたんです」

--その後、会社を辞めたのはどうして?
「主任になった後、社内で新しくできた部署に異動になったんです。そこは競合対策として攻めの営業をするために作られた部署で、課長と主任クラス、あとは社内公募で選ばれた人だけが集められたところ。そういう極端な攻めの営業が私にはしんどかった」

--正社員を辞めることに抵抗はなかった?
「社会に出て5年半。当時の彼との結婚もなんとなく考えるようになっていたし、寝たい時に寝て、買い物に行きたい時に買い物に行くような生活もいいかなって思って、次のことは何も決めず、とりあえず辞めました」

社会に出て、休むことなく走り続けた千里さんには休養も必要だったよう。しかし、会社を離れて彼女はあることに気づきます。