長女の場合
ガイド:「どうして、長女のRさんにピアノを習わせようと思われたのですか?」坪居さん「ペルー移民時代の話ですが、私が幼いころ、自宅にピアノの先生が来られて、母がピアノを習っていました。
私はピアノが大好きだったのに、ピアノを弾きたかったのに、そのことに、母は気付いてくれませんでした。
自分から習わせて欲しいと言うことは思いつきませんでした。自分が習わせてもらえなかったので、自分の夢をかなえたくて、長女に習わせることにしました。
でも、当時は、ピアノが買えず、長女は、家では、紙に書いた鍵盤を板に貼った「紙のピアノ」で、練習していました。そんなことは、ピアノの先生はご存知なかったのですが、『たぐいまれなる逸材だ』と言われていました。
孟母三遷と言いますが、子どものためなら、母はできる限りのことをしようと思うものです。お月謝もお給料に比較してかなり高かったのですが、おけいこをさせるなら、一番いいところでと思い、地域で一番のところで習わせました。」
ガイド「他のお嬢さんにも、ピアノは習わせられたのでしょうか。」
坪居さん「3人とも同じ年齢である5歳から習わせました。次女が習い出す頃には、我が家にピアノもあり、次女も一生懸命ピアノの練習はしていましたが、指の動きが硬く、『長女とは違う』ということがすぐにわかりました。三女もピアノは好きでしたが、彼女にはそれ以上に好きなものがあったのです。」
次女の場合
ガイド「次女のKさんはどのようなお子さんだったのですか。」坪居さん「次女は、よく勉強をする子で『勉強しなさい』と言ったことがありません。学校での成績も優秀でした。
4歳の頃作ったイス |
『にょごにゃいの釘を探して』と私に言ってきました。『にょごにゃいの』とは『これぐらいの』という意味で、本当にかわいかったです。昨日のことは忘れてしまいますが、子育て中のできごとはよく覚えているものです。」
三女の場合
「三女のNさんは何が得意なお子さんでしたか。」坪居さん「勉強は嫌いでしたが、絵を描くのが大好きな子どもでした。上の2人はよく勉強をしましたが、だからと言って、三女にも勉強を強いることはしませんでした。
絵を描くのが益々好きになったのは、小学校の時のある先生のお陰だと思います。今までの先生は、図工の授業で絵を描く場合、授業中の間しか絵を描かせてもらえなかったのですが、その先生は、納得いくまで、絵を仕上げるまで描かせてくださいました。
三女の絵は、授業中だけでは仕上がらなかったので、今までの先生の評価は低かったのですが、家に持って帰って納得いくまで描いてもいいと言ってくれる先生に出会い、それ以降、家でずっと熱心に絵を描いていました。
次女と三女が坪居さんのお誕生日プレゼントに作ってくれたバス |