父の日はいつ? 6月の第3日曜日、2024年は6月16日
6月の第3日曜日は「父の日」。2024年は6月16日です。もうすっかりお馴染みの父の日ですが、そもそもどんな由来があるのでしょう? 本来のプレゼントは何? シンボルカラーは? 父の日を迎える前に、素朴な疑問を解決しておきましょう。父の日の由来
父の日は、アメリカのワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd/当時は夫の姓名に夫人をつけて呼んでいたため、ジョン・ブルース・ドッド夫人 Mrs. John Bruce Dodd とも言う)によって、提唱されたのが始まりだと言われています。ドットの父、ウイリアム・ジャクソン・スマート氏は、北軍の軍人として南北戦争(1861年~1865年)に召集され、父不在の家庭を支えて6人の子ども(男5人、女1人)を育ててくれた母は、父の復員後、過労によってこの世を去ってしまいました。
父は残された子どもたちのために懸命に働き、戦後の大変な時代にもかかわらず、男手ひとつで6人の子を立派に育てあげてくれました。そんな父の姿を見て育った末っ子ドットが、父を称えて「父の日」を提唱し、父の誕生月にあたる6月に「父の日」ができました。
父の日と母の日の関係
今でこそ当然のように「父の日」と「母の日」がありますが、当時はそうではありません。「父の日」成立の背景には、「母の日」の影響があったようです。■1908年
アンナ・ジャービスが「母の日」を提唱する
詳しくは「母の日の由来やカーネーションの色の意味」をご覧ください。
■1909年
「母の日」を知ったソノラ・スマート・ドッドが、「父の日」も作って欲しいと牧師協会へ嘆願する
■1910年
ウェストバージニア州が「母の日」を認定する
■1914年
5月の第2日曜日が「母の日」として制定される
■1916年
「父の日」が認知されはじめる
■1923年
第30代大統領のジョン・カルビン・クーリッジが、「父の日」の意義を提唱する
■1926年
「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティ」がニューヨークで組織される
■1972年
6月の第3日曜日が「父の日」として国の記念日に制定される
こうしてアメリカで始まった「父の日」が、“父親を尊敬し、称え祝う日”として世界的に広がっていきました。ところで、「母の日」のカーネーションのように、「父の日」には何かあるのでしょうか?
父の日の本来のプレゼントはバラの花
今ではさまざまな贈り物をしますが、本来は何を贈ったのでしょう?「母の日」がカーネーションだったように、「父の日」にはバラを贈りました。これは、ドットが父親の好きだったバラを選び、白いバラを父のお墓に供えたことに由来します。
また、父親が健在なら赤いバラ、他界された後は白いバラを贈るという説もあり、このへんも「母の日」のカーネーションに似ています。詳しくは、「母の日 はいつ?由来の真実・カーネーションの色の意味」をご覧ください。
日本の父の日では、黄色が広がる
日本では、「母の日」が公式に5月の第2日曜日になったのが1947年ですから、「父の日」が広がったのはそれ以降。70年代で、それほど認知されてはいませんでした。
やがて、1981年に社団法人日本メンズファッション協会を母体とした『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』が設立され、父の日が国民的イベントになっていきました。同委員会では黄色を提唱し、「父の日黄色いリボンキャンペーン」や「ベスト・ファーザー発表・授賞式」などの活動を行っています。
黄色や黄色いリボンの由来は……
(『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』の「黄色いリボンの由来」より抜粋)イギリスでは古来、「黄色」は身を守るための色とされていました。
「黄色」がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となりました。
こうした活動が実を結び、日本では黄色を父の日カラーにするところが多いのです。花に関していえば、黄色いバラやヒマワリのほか、白いバラ、白いユリなども支持されているようです。
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