「銀ブラ」の意味を探るためカフェーパウリスタへ
「銀ブラ」の語源について書かれた本と、昔のままの形で出されている ブラジル珈琲 |
カフェーパウリスタで銀ブラ
「銀ブラ」の語源となったカフェーパウリスタは銀座八丁目、中央通り沿いにあった。さっそく、店長の谷沢さんに話をうかがう。谷沢さんは昭和47年生まれの男性である。当然ながら、当時の状況を知っているわけではない。そこで一冊の本を取り出し見せてくれた。『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた―カフェーパウリスタ物語』(文園社)、著者はカフェーパウリスタの先代社長である長谷川泰三氏である。この本をパラパラめくって見せる谷沢店長。そこには、「銀ブラ」の語源は銀座でブラジル珈琲!?
という見出しがあった。その章を読んでみると画家の水島爾保布(みずしまにおう)が書いた『新東京繁昌記』、評論家の安藤更生が書いた『銀座細見』から「銀ブラ」という言葉が大正時代、慶応の学生によって生み出されたいう記述があることを紹介している。さらに作家の小島政二郎が書いた『甘肌』より、その造語が小島の同級生である成毛五十六という人物によって命名されたとあるそうだ。
語源や由来って諸説あるけれど、これもそのひとつなんだということがわかった。
ジョン・レノンも銀ブラしていた!?
カフェーパウリスタの創業は1909年(明治42年)。今年で101年目ということになるわけだが、その間に多くの著名人がこの店に通っている。かつて、カフェーパウリスタは今の交詢社(銀座六丁目)の向かいあたりにあった。大正時代には菊池寛、正宗白鳥、芥川龍之介、久保田万太郎、広津和郎、佐藤春夫、獅子文六といった文学者が多く出入りしていたらしい。その関係で、昔を懐かしむ人たちがこの店を訪れるのも少なくないそうだ。店長の谷沢さんが、「最近ではジョン・レノンさんでしょうかね」と言う。えっ、あのジョン・レノンもここに来たのか。思わず、どの席に座ったんですかと聞いてしまった。真ん中のあの間仕切りがある手前だと言う。ジョン・レノンはオノ・ヨーコとともにここに通ったらしい。時にはブルーマウンテンを3杯おかわりしたこともあるそうだ。銀ブラからジョン・レノンまで歴史のある店なのだ。
ちなみにこの店でコーヒーを飲むと「銀ブラ証明書」をくれる。スタンプカードになっていて、10回スタンプを押してもらうと、コーヒー一杯が無料となるものだ。さあ、銀ブラに出かけてみようではないか。
カフェーパウリスタ店舗情報
http://www.paulista.co.jp/shop.html
<参考文献>
Amazon.co.jp: 日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた―カフエーパウリスタ物語: 長谷川 泰三: 本
Amazon.co.jp: 「銀ブラ」の語源を正す―カフエーパウリスタと「銀ブラ」: 星田 宏司, 岡本 秀徳: 本
<関連情報>
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