彼は1980年2月、山口県で生まれた。卓球をしていた父親の影響で中学1年から卓球をはじめ、山口県立西京高校時代には団体で県の2位とか3位になったというから、なかなかのツワモノである。高校2年のころには、すでに将来は商売をしたいという思いがあったという。
「そのころは、普通の卓球ショップを経営したいな、と。あとはコンビニとか。なんの商売をやるにせよ、これからはパソコンが必要になるだろうと思って……」
ちょうど卒業と同時に、海峡を挟んだお隣の福岡県太宰府市に九州情報大学が開学した。経営情報学部のみのカレッジに推薦で入った。栄えある1期生である。パソコンを学ぶ傍ら、卓球部もつくった。4、5人集まったが、経験者がいない。県で2位とか3位の男である。ピンポンで満足できるわけがない。
一般の卓球サークルを探した。だが、なかなか見つからない。やむを得ず、大宰府市役所に電話をした。運がいいことに、たまたま卓球協会の人がいた。大宰府卓球同好会を紹介してもらった。そこで知り合ったのが、現在、共同経営者として名を連ねる松島章浩さんだった。
「ボクよりあとに入ってきた方なんですが、ボクが3年の冬ぐらいですね、松島さんの家に遊びに行ったとき、卒業後は商売をしてみたいという話をしたら、『いいね、協力するよ』ということになって。ただ、そのころはまだ、会社にしようとまでは思っていなかったんです」
大学4年の春、彼が立ち上げたのは、会社ではなくホームページだった。自身の経験から、卓球チームを検索できる機能を備えたサイトである。松島さんからの資金援助はあったが、プログラム作成のノウハウは独学したという。
その後、一般の学生と同様、就職活動をした。だが、会社は見つからなかった。しかし、フリーターをする気にもなれない。10歳上の姉の旦那、すなわち義理の兄に相談した。いや、夢を語った。「卓球で新しいことをやってみたい」と──。
「そうしたら、『若いうちは結果じゃない。失敗しても、絶対にプラスになるから』ということを言われて。すごく励みになったんです。ちょうどスーパーサーキットがはじまったころで、卓球が盛り上がってきている気がしていたし、この波を逃がしたらもったいないと思って。それが起爆剤になりましたね」
そして、松島さんの協力を得た。この6月、立ち上げたのは、会社だった。