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■オリンピックとテニスの歴史 |
オリンピック開催以前からウィンブルドンや全米、全仏が行われていたテニスは、第1回大会のアテネオリンピックの時にはすでに水泳・体操・陸上・レスリング・フェンシング・射撃・自転車とともに正式種目に入っていました。 当時のオリンピックは、出場国数、競技数、規模など今のオリンピックとは比べ物にならないくらいに小さいもので、また、現在のような複数の競技を同時に行うだけのノウハウや資金力もありませんでした。 しかし、規模の拡大に従い、国際オリンピック委員会は各競技連盟に多くの要望を出すようになってきました。
一方、1900年にはデ杯(国別対抗戦)、1905年(第3回オリンピックの翌年)には全豪が加わり、4大大会と国別対抗戦を毎年行うようになってきた国際テニス連盟は4大大会とデ杯を中心とするトーナメントシステムを定着させ、スポーツビジネスとしてのテニスの確立を目指していました。 4大大会を頂点とし、オリンピックを5番目の大会と位置付け、オリンピックの運営を見下していた国際テニス連盟とオリンピックを頂点としたい国際オリンピック委員会とがうまくいくはずもありません。 1928年(第28回アムステルダムオリンピック)から国際テニス連盟は出場をアマチュアに制限し、五輪イヤーにはウインブルドンを行わないよう要望してくる国際オリンピック委員会と決別し、オリンピックの舞台から姿を消してしまいました。
テニスがオリンピックと決別し半世紀近く経った頃、アマチュアイズムを堅守してきたオリンピックも、規模が拡大するに従い商業化の必要性に迫られることとなりました。 1974年、五輪憲章が見直され、アマチュアという言葉が憲章から外され、プロ選手の出場が可能になったことをうけ、 1984年のロサンゼルスオリンピックでエキシビション競技としてシングルスの試合が実施され、1988年ソウル大会から正式種目として、テニスがオリンピックに復帰したのです。 |