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不屈のプロゴルファー中嶋常幸の軌跡(4ページ目)

賞金王4回。世界の舞台で活躍し、2006年にはシニアとしてツアー優勝を果たすなど、日本が誇るプロゴルファーである中嶋常幸プロ。その足跡をたどり、50を過ぎてもなお輝き続けるその生き方に迫ります。

児山 和弘

執筆者:児山 和弘

ゴルフガイド

中嶋常幸、奇跡的な復活

一転、中嶋プロは90年半ばにさらに深刻な不振に陥ります。

パッティングの際に手がしびれて動かなくなるイップス病や故障などによって成績が悪化し、2000年には賞金ランキング116位にまで後退し、賞金シードを失いました。23試合に出場しながら予選突破がわずかに8回。これは無敵を誇ったトッププロの成績としては、到底受け入れがたいものだったと思います。長年のパートナーシップを組んでいた契約先からも契約解除されるなどして、中嶋プロ自身もそのときの低迷について次のように語っています。

完全に迷路に入り込んでしまったのです。(中略)あらゆる方法、あらゆる手段を使っても、だめ。00年8月には、刀折れ、矢尽きたといった気持ちに打ちひしがれました。(中嶋常幸『40歳にしてわかる「理にかなう」ゴルフ』)

この時、中嶋プロは46歳。既にトップアスリートとしての旬は過ぎ、肉体の衰えは想像に難くありません。多くのゴルフファンが「中嶋は終わった」と思ったことでしょう。

しかし、中嶋プロは翌2001年はツアースタート時から好調を維持。何度も上位に入る活躍を見せ、優勝こそなかったものの賞金ランキングで9位と94年以来の賞金ランキングベスト10入りを果たしました。

そして2002年には、なんと2583日ぶりに復活のツアー優勝。さらにその年はもう1勝を挙げ、完全にトッププロの座に返り咲きました。40代後半での劇的な復活は世界的にもほとんど例のないことです。

復活の大きな要因として、元教え子でもあったトレーナー、石渡俊彦プロとの出会いがあったことは良く知られていることです。石渡プロとは00年の冬からトレーニングを行い、フィジカル面の強化を行ったことが好成績につながりました。

ここで強調しておきたいのが、中嶋プロの姿勢です。元教え子であっても謙虚に向き合い、教えを請うことをいとわなかったこと。年齢的には第一線から退いてもおかしくなかったにもかかわらず、復活に取り組み続けたこと。決してあきらめず真摯にゴルフに取り組み続けた姿勢こそが、奇跡とも形容される復活劇をもたらした最大の要因だと感じます。

>>次は、歴史的な優勝>>
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