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荒鷲の不孝息子35年目の飛翔・坂口征夫(2)

父はプロレスラー、弟は俳優。総合格闘家坂口征夫には、常に家族の威光が覆い被さる。35歳、ようやく遅すぎる開花を迎えた長男が、不良少年時代、夢の挫折、家族との確執…その壮絶な過去を語り始めた。

執筆者:井田 英登

リアル・ビーバップ・ハイスクール? ケンカ漬けの渋谷チーマー時代

――段位としては?

坂口「一応、二段ですね」

――腐っちゃった、というのは具体的にどんな感じだったんですか。

坂口「まあ、元々プロレスをやるために柔道はやっとかなきゃいけないもんだみたいな感じだったんで、別に柔道極めなくてもいいやみたいな。一応中三ですけど、結果は出したんで、後は体作りだけでいいや、みたいな感じになったんですね」

――柔道でトップを狙ってやろうという気持ちは?

坂口「さらさら無かったですね(笑)」

――肘を壊しちゃって、プロレスラーにもなれなかったらどうしよう、みたいな危機感はなかったですか?

坂口「いや、それはなかったですね。あまり感じなかった。で、高校の三年になって、なぜか日体大のレスリング部に推薦が決まってたんです。いい加減自分の中でも、オヤジの引いたレールというのはすごくイヤで、自分的にはもう大学行く気もないし、プロレスラーになるんだって気持ちもあったんで。何で大学行ってまで、レスリングやんなきゃなんねえんだ?みたいな気持ちもあって」

――相当反逆児ですね(笑)

坂口「ええ(笑)。で、結局ケンカで問題起こして、大学の推薦取り消しになっちゃって」

――そんな派手にやったんですか?

坂口「朝から女とイチャイチャしてるようなむかつく奴をぶっ飛ばしたら、眼下底骨折になっちゃって(苦笑)。」

――えらい硬派だったんすね。

坂口征夫
 「総合格闘技はケンカ」と言い切る殺意に満ちたファイトスタイル。十代の殺伐とした日々に溜め込んだ鬱屈が、二十年の歳月を経て、一撃必殺のプロの技へと昇華していった。
坂口「だいたいみんなそうじゃないですか? 朝は基本的に機嫌悪くて、ずっと通学路が、渋谷を経由して新宿にでて東中野だったんで。渋谷で友だちと待ち合わせしてたら、毎朝いるんですよ。女の子とイチャイチャしてて。こっち見てニヤニヤして見てるのが。で、遅刻しそうなんで、いいやってスタスタ歩いてたんですけど。ある日連れがどうしても納得いかないって言い出して。イヤ遅刻しそうだから止めようよって言ってたら、行くっていうから。じゃあやってこいやってなって。最初しゃべってるってか…言い合いになって」

――ガンつけにいっちゃったんだ

坂口「で、ラチあかないってんで、二人突っ込んでってボコボコに。あれは中野の奴だろうってことで来て。全部写真調べられて、顔が割れちゃった(笑)」

――(笑)

坂口「一週間後ぐらいですね。『坂口、鞄もってこい』言われて、あーなんかバレたかなって思って。鞄もってこいってことはそういうことなんで。おふくろが呼び出し食らって、号泣してたんで…ああ、やってしまったかと」

――親不孝もんですね。でも、それまでは何もなかったんですか?

坂口「いや、いろいろありましたよ(笑)。まあ、変なやりかたはしなかったですけど、ただ売られれば買いますし。あんまり弱い奴とやるってのはなかったですけど。あのころ、チーマーの全盛期で。自分たちも中学の頃からみんなで渋谷でたむろしてた仲だったんで。争いは絶えなかったですね。今の子はみんな刺しちゃうじゃないですか。その頃って、まだそんなことはしなかったんで。モノで叩いたりはするんですけど」

――まだワルの中でも限界がわかってたと

坂口「刺してもまだ向かってくるんだよなとか言ってたのもいましたね。刺しちゃって、明日出頭するんだみたいな子もいて、その前の晩一緒につるんでたりとかもいたんで。…物騒な世界ですよね(苦笑)」

――すごい世界にいたんですねえ…

坂口「いましたねえ…。あの当時の明中って、ボンボン軍団だったんです」
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