齢70歳の“生きる伝説”が、無名の格闘技オタクに植え付けたもの

「強くなると言うことは、すべて“武者修行”だと思ってましたから、一つの競技にこだわるんじゃなくて、いろんな技術を吸収すべきだって思ってて。当時はそんな時代でしたからね。柔道、ボクシング、サブミッション・アーツ、果ては塩田剛三先生の合気道のセミナーにまで参加してましたよ」と笑いながら、当時の己の“格闘ミーハー”ぶりを語る岩倉。

塩田剛三といえば、超人的な合気道の達人として知られる。――ただスポーツ格闘技としての合気道は決して実用的な技術とは見られていない。柔道的な組みあってからの投げではなく、相手の動きを読んで、その力を受け流すようにして投げ、関節を決める。格闘技としては華麗すぎ、ファンタスティックすぎるゆえに、その力学的合理性、対人技術としての有効性を疑問視する向きも多い。また門外不出を旨とした技術の解析を拒む気風もあり、合気、古武術に向けられる視線というのは、この稿の柳龍拳のくだりでも書いたとおり、科学的観点からすると非常に冷たいものになってしまう。

しかし、こと塩田剛三個人に関しては不思議と、その批判の舌鋒が弱まる。柳龍拳との対決に手を挙げるぐらいだから、古流武術には批判的かと思われた岩倉当人ですら、実は塩田には全面肯定の立場なのである。

「塩田先生は本当に強かったんですよ。古武術というとインチキだというイメージがあるかもしれないですけど、ホンモノと偽物は全然違うんですよ。中でも塩田先生は、合理的に人間の関節や筋肉や神経なんかの構造をきっちり理解してたんじゃないですかね。ただの技というより科学に近い感覚だったと思いますよ。本当に肉体で“理解”されてたからああいう動きが出来たんだと思う。でも弟子に理屈で言って伝わるような性質のものじゃないから、色々いう人間が出てきてしまうのは仕方がない。僕も最初は“合気道なんぼのもんじゃい”みたいな気持ちで、グローブはめて、完全に殴り込みの気分でやりましたもん(笑)。でも舐めてたら、恐ろしい目に遭わされました」



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