犯意は立証できないが、行為の悪質さは歴然としている


犯意を否定している選手の真意を断定する事は不可能というしかないが、秋山の場合、既にご存知の方も多いと思うが柔道時代にも不正着衣の問題を引き起こしている“前科”がある。

ネットを利用して匿名の執筆者が協力してフリーの百科事典を作ろうというプロジェクト「ウィキペディア日本語版」に記述された>秋山成勲の柔道時代の不正行為に関する記事の引用である。


* 2003年、世界柔道選手権の日本代表決定戦となる全日本柔道選抜体重別選手権(講道館杯)に優勝。しかし、この決勝戦において対戦相手の中村兼三に「柔道着が滑る」と抗議された。また、髪を脱色したまま出場し、この点においても物議を醸している。

* 同年10月の世界柔道選手権で2回戦から4回戦の対戦相手であるフランス、モンゴル、トルコの3カ国から「柔道着が滑る」という抗議を受けた。なお、1回戦はシードであり、すべての対戦相手から抗議を受けるのは史上初の珍事。国際柔道連盟のチェックでは大きな問題なしとされたが、「疑われるようなことが問題」という山下泰裕理事の指示で柔道着が交換させられた。[1]本人は「洗ったばかりで石鹸が少し残っていた」と弁明。柔道着を交換した後は準決勝、敗者復活戦で2連敗して5位。世界選手権で優勝すればアテネオリンピックに向けて代表の有力候補となっていたが落選した。

* 2003年2月4日放送のフジテレビ『ジャンクSPORTS』に柔道家として出演した秋山は、番組中に「胴着を滑りやすくして有利に試合をすすめる」、「母親が柔軟剤のハミングを使って洗っている」といったコメントを残している。




今回の事件に関しても、不自然なまでの分量の塗布やバックステージ撮影を担当した放送スタッフの制止を振り切っての塗布行為であった事も確認されており、いかなる言葉を重ねても、“クロ”の認識は免れ得ないだろう。

百歩譲って、秋山に悪意が無かったとするとしても、競技者として身体塗布物を施す際に、これが規定違反に当たるかどうかの確認をしなかったという事実は、真剣な競技者として総合格闘技に取り組んでいるとはとても言いがたい。

彼が主張するように、強い乾燥肌の症状があり、オイルで湿潤を与える必要があったとして、本当にこの競技の競技性を尊重する気持ちがあったなら、なぜ事前にオイルの使用が、競技的に問題ないのか確かめようとしなかったのであろうか?

実際、アンチドーピングを貫くオリンピックでは、競技者が風邪薬を飲んだために含有される違反物質を検出した場合でも、非常に厳しい処分を下す傾向にある。要するに「梨下に冠を正さず、瓜田に靴を直さず」の精神を、競技者自身が配慮する事を要求しているのである。

競技としての厳密性を守る上で、口先で “悪意はなかった”と語る秋山の主張は通してはならないし、それ自体許されるものではないという事なのだ。

犯意は立証できないが、行為の悪質さは歴然としている。
もし日本の総合格闘技界に、オリンピック級の厳正なコミッションが存在したのであれば、この行為だけで“永久追放”という処分が下されていても何の不思議も無い。一罰百戒の精神からしても、このケースを甘く処理した場合、“ズルしたって人気があれば何とかなる”あるいは“バレなきゃ何とかなる”という発想の違反者が相次ぐかもしれないからである。

ここまで何回も述べて来たように、総合格闘技というスポーツは、基本的にこの競技を愛するが故に競技者の道を選んだ選手の“聖域”であった。

だが、曙の参入の例にもあるように、他競技でのトップアスリートが参入することで、物見高いTV視聴者の好奇心を引きつけることができることが立証されてしまった現在、この競技のリングは“出稼ぎアスリート”の荒稼ぎの現場に変わってしまった観がある。

このスポーツを愛する“ネイティブアスリート”と違って、“出稼ぎアスリート”の意識には、このスポーツを厳密に闘う必然性は薄い。

“結果”=“金銭”と言い切ってしまってもいいだろう。

すべての出稼ぎ競技者が、そんな不埒な意識を持っているとは思いたくないが、少なくとも、“ネイティブアスリート”に比べれば『総合格闘技がどうなろうと俺の知った事じゃない』という気持ちは色濃いにちがいない。

秋山の決め台詞は“柔道最高”だが、“MMA最高”とは絶対言わない彼に僕は大きな不信感がある。プライオリティを他の競技に置く人間は、金であれ名誉であれ地位であれ人気であれ、そういう現世利得を手にする事が大事な訳で、今闘っているこの競技を“利用”しているだけの事だからだ。

秋山事件なぜストップできなかったか?(9)に続く

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