【前編】
・“原点模倣”でしかなかった武道館大会。 ・ニ代目・調整役の悲劇


遅すぎた原点回帰

さて、そうした谷川Pの気質は、具体的にどういう形でK-1を空洞化させたのだろう。

1、 大物参戦への執着

K-1ラスベガスに現れたタイソン
破産宣告の翌日、K-1ラスベガス大会に現れたタイソン。しかし、一年以上が経過する今もK-1プロモートによる試合は実現していない。
本来、スポーツイベントは、一つのルールの中で実力を発揮したアスリートがスターになるべきものである。プロ野球でもサッカーでも、他所のジャンルで活躍したスターが移籍してきて、そのジャンルを盛り上げるといった現象はあり得ない。

実際、全米プロバスケットリーグNBAのスーパースター・マイケル・ジョーダンが、大リーグに挑戦して失笑を買った例を引くまでもない。アスリートというのは、一つの競技に過剰適合してこそ生み出される「ツブシの効かない」生き物なのだ。

にもかかわらず、谷川Pは執拗に“他業界の大物”起用に執着する。
結局、「Dynamite!!」で稼いだ48%という化けもじみた視聴率に執着しているのだろうが、その視聴率の原動力となった曙は早々に失速。現在K-1五連敗惨状にあえいでいる。

また、奇跡的にラインの繋がったマイク・タイソンにしても、相当の経費を注ぎ込んだにも関わらず、実際に試合をマネージメントできずじまい。「夏にはハワイでタイソン祭りだ」「八月にはNYマジソンスクエアガーデンでタイソンを中心に格闘技イベントだ」華やかな口鉄砲が飛ばされはするものの、何も実現しない。

では、その穴埋めとしてか、ROMANEXの目玉にアレンジされたヒクソン参戦の噂もすっかり聞かれなくなって久しい。派手な話題の常として、ファンは掻き立てられた期待感の裏返しに疲労感を得る。

結局、谷川Pの大物招聘路線は、K-1に“狼少年”の印象を植え付けるばかりだったのである。


2、手持ちのコマを腐らせるマッチメイク

K-1の推進力となってきたのは、何と言っても年末のGP。
誰が優勝するかによって、一年間のシリーズの主役が決まるわけで、全盛期のK-1 GPはチャンピオンが交代する度にリングの上の光景が変わる印象があったものである。だが、アーツ、アンディ、佐竹、シカティックといった第一世代の勢いが退潮し、ホーストだけがひたすら勝利を重ねるようになった近年、その構図には翳りが生まれた。

ホースト自身は「4 Times Champion」をヒステリックなまでに強調するが、周囲にすれば彼の優勝こそ、「K-1マンネリ化」の象徴でもあった。第二世代バンナ、ベルナルド、フィリォらは成長が足踏みし、いっこうに優勝できない。

これは谷川Pの責任ではないが、ある意味空気の止まった感のあるK-1の情勢に危機感を抱いた先代石井Pは、他ジャンルのイベント開催に躍起となり、そして勢力拡大路線を急いだ故に、失墜を招いた気がする。

逆に谷川路線に入ってからのK-1では、GP初出場のボンヤスキーが優勝するという“世代交代”が生まれているが、逆にこの王者はまだ先行するK-1歴戦の戦士たちを撃破する物語を経験していない。したがってファンにその真価が伝わってこない。

ボンヤスキー
ノーマークの若駒が最前列に躍り出た昨年のGP。もし、石井Pが健在であれば、当然“アクシデント”を“必然”に置き換える錬金術を施しただろう。
本来ならこの一年は新王者を軸にして、その王座を脅かす第一第ニ世代の闘いを展開しなければいけないシーズンだったはずなのだ。興行側としてはせっかく生み出した金の卵を、簡単に潰されたくない気持ちも判る。しかし、ガチンコ勝負を売りにする格闘技団体である以上、その修羅場を超えられない選手を王者に頂くことは、あってはならないことだ。

中迫剛
フランシスコ・フィリォ
フランソワ・ボタ
アジス・カトゥー


と並ぶ2004年の対戦相手に、そんなドラマは皆無である。
かろうじてフィリォとの対戦がそれに当たるが、なんとコレは外部の大会である「一撃」での結果で、K-1の文脈で語るのは苦しい。

結局、「若き革命王」はファンに大きな存在感を植え付けることなく、無駄にワンシーズンを浪費した形だ。彼の魅力を引き出すことができなかった谷川Pの失策こそ、K-1空洞化の象徴であると断言しても構うまい。