「引退発言」に隠されていた危険信号

魔裟斗vsプアカーオ
魔裟斗はプアカーオの前蹴りと膝に翻弄された
7月7日、代々木第一体育館は女性ファンの悲鳴で埋め尽くされた。

これまでk-1 MAXの象徴として三年間走り続けてきた魔娑斗が、22才のムエタイ戦士の前になすすべも無く敗れたのだ。魔裟斗の優勝を目にしようと会場に詰め掛けたファンにとって、まさに七夕の悲劇とでも言うべき事態となってしまった。

ただこの結果に関して、事前から僕には幽かな予感があった。

試合後、魔裟斗はノーコメント。本来ならプロ意識の高い魔裟斗が、ノーコメントで試合会場を後にするのは非常に珍しい事態である。一昨年、World MAX 2002準決勝でクラウスに敗れたあとも、腫上がった顔で気丈に会見に応じていただけに、この状況の特異さが際立つ。

もちろん負傷の状況がままならないということもあっただろう。しかし、その後、一夜明けの会見にも、また大会後の各紙のインタビューのオファーにも答えたという話は聞かない。全くの沈黙である。だが、僕としては、逆にそうした魔裟斗の振るまいの全てを通して、腑に落ちる部分を感じていた。

大会前「今年、来年と優勝して引退するつもり」というコメントが、大きくスポーツ紙の誌面を飾った事を御記憶だろうか。その後、当人は「こんな大きな騒ぎになるとは思わなかった」とあっさりこの発言を否定しているが、僕はこのコメントを、彼の内心の漏れ出したものとして重視している。

元々、魔裟斗という選手はビッグマウスな発言が多い選手である。特に小比類巻貴之らライバルに対する辛辣な発言や、唯我独尊な将来設計を語って物議を醸す。

こうした一連の発言を見る限り、彼には傲岸不遜な自信家というイメージが強い。しかし、実際の魔裟斗は、芸能活動の傍ら、競技選手として人一倍練習をこなし、技術習得に貪欲である。殺人的スケジュールをこなしながら自己コントロールに邁進しており、いわゆるチャンピオンの奢りのようなものが感じられない。メンタルに夢想的な部分のある小比類巻よりむしろ、魔裟斗の方が“ミスター・ストイック”の渾名にふさわしいのではないかと思うこともしばしばだ。(こうした魔裟斗のパブリックイメージと相反する強靱な精神力の相克については、クローズアップ記事「欲望とストイシズム」を参照していただきたい。)


魔裟斗ベルト
エース魔裟斗の引退発言はマスコミをゆるがした

先の引退発言にしても、いわゆる思い付きの“放言”の類いでは決してない。昨年World MAXを制覇した直後から「いつまでも格闘技を続けるつもりはない。将来は役者に転向」といった将来設計の形で、何度も口にして来たものなのだ。(そのかわり「アメリカでも試合をして、ハリウッドで役者として成功したい」といった、とんでもないビジョンがお添え物につけられて居た訳だが。)

ただ、あえてそれを各紙が問題にしたのは、「来年優勝して引退」という具体的なスケジュールが浮上したことと、その原因として「今のような練習をいつまでも続けられると思わない」という、現実的な動機がそこに付け加えられていたからだろう。

それほどWorld MAXに向けての魔裟斗の追い込みは激しいものだった。時に追い込みが過ぎて血尿すら出るようなオーバーワークが続いていた現実を知っていたからこそ、記者たちはリアリティある発言としてこれを受け取ったのである。

魔裟斗自身、練習漬けのハイテンションな生活を維持していくには薄々限界を感じつつあったに違いない。彼の言う「今年、来年優勝して」という構想が実現していれば、未曾有の三連覇ということになり、これはK-1 World GPで四回優勝の経験を持つア-ネスト・ホーストすら成し遂げていない記録となる。

野心家である魔裟斗にとって、それだけの記録が残れば、もう“リングにやり残した事はない”と言い切れるだけの材料が揃う。緻密な計算と言うより、すでに限界の直前まで自らを追い込んだ人間の、本能的危険信号がこの発言を生んだのではないかと、僕は睨んでいる。

あれだけ常に一般人の想像を覆すような夢想を口にし、ことごとく実現して来た魔裟斗のこと。本来ならさらにでかい目標をぶち上げ続け、さらっとある日突然の引退を表明するぐらいの行動が美学的には納まりがいい。

ファイターと言うのは敏感な生き物である。
よく「リングに上がった瞬間に、相手に勝てるかどうかは判る」といった発言をするトップファイターが多いが、あれは実際存在する感覚なのだと思う。それだけ研ぎすまされた判断力と直感があるからこそ、コンマ数秒の判断をくり返して動き回れるのだ。それを“野生の感”という言い方で曖昧にしてしまう向きもあるが、僕はあくまで瀬戸際の経験値の集積による、瞬時の絶対的判断ではないかと思う。

その意味で「そろそろ限界が近いな」と感じた魔裟斗の微妙なアンテナの反応が、今回の結果に実は大きな影を落とした気がしてならない。

ここに至ってうっかり現実的な“最大達成目標”設定してしまったあたりに、魔裟斗自身の限界への不安がうっすら滲むではないか。早い話、「そろそろ上がり」を意識したこの発言にこそ、今年の魔裟斗が抱え込んでいた爆弾の正体がチラ見えしていたのである。

試合後の異例のノーコメントにしても、魔裟斗には今現在自分の進路を語る言葉が見当たらなかった故の選択ではなかったかと僕は感じる。この敗北の現実を前に、魔裟斗はこれまで自分が貫いて来た美学と、試合結果の摺り合わせを強いられてしまったわけである。平たく言えば、“大舞台で、ビッグマウスのケツを拭けなかった俺”が、のこのこリングに戻る事が許されるかどうか? を語らねばならなくなったわけで、うっかりすれば即時引退をも口にしかねない自分自身を、マイクの放列から引き離した結果が、このノーコメントに繋がったのではないかと思うのである。