次世代女子格闘家は「脱ジョシカク」へ

美女格闘家4位 渡辺久江
美女格闘家4位 渡辺久江 唯我独尊系の切れのイイコメント連発で、注目度急上昇中のキックボクサー。“女・魔裟斗”の異名に見合う戦績がつけば大化けもありうる。
さて、辻や藤井が対世界という最前線で、並みいる女子格闘家を撃破してきた闘いを、女子総合=「ジョシカクのこれまで(Then)」とするならば、次に紹介すべきなのは、独自の展開でファンの耳目を集めつつある次世代の若手かもしれない。

総合のみならず、他競技にも進出。必死に辻達の牙城を崩し“世間に届く”存在として突出しようとする渡辺久江をフィルターに、「ジョシカクの今(Now)」を整理してみよう。




2003年辺りからキックボクシングと総合を横断し、男子中心の興行にも登場。ほぼ毎月ペースで試合を積み重ねて来た渡辺久江の存在は、既にファンにも広く知られるところ。切れのいい打撃を中心にした試合スタイルもさることながら、“成り上がり”志向を剥き出しにした発言で、格闘マスコミの人気を集めた。既にメインイベンター並の知名度を誇るが、まだ“トップファイター”と呼ぶにはあと一歩と言うのが、今の渡辺のポジションであろう。

渡辺は、辻や藤井と違って格闘のベースになる競技的“備蓄”のない所から、いきなりこの世界に入って来た選手。また、同世代の選手にありがちな、幼い頃からのプロレスや格闘技への憧憬もほとんど無い。格闘技との最初の出会いは、いきなり格闘技雑誌に掲載されたReMixの記事 だったというから、その成長速度、達成度には驚かされる。

同時に、渡辺のような選手の出現は、まがりなりにも「ジョシカク」ムーブメントが、一般のファンにも認知されるような裾野の広がりを持った事を意味しており、非常に興味深い。

中高生時代、出身地栃木のテニス部での活動で鳴らした、男勝りのアスリートだったという渡辺だが、当時世間を席巻した“渋谷系コギャル”のブームに触発されるて退部。栃木には存在しない“ギャル”シーンに飛び込むため、わざわざ東京まで“遠征”しては“本場”のメイクを身につけ、周辺では誰も知らない“ギャルブランド”を購入して悦に入るという、ハジけた青春に身をやつしていたという。

若干余談になるが、ファッションというのは、女性に取ってたんなる消費行動に留まらず、服選びのセンスを通した「自分探し」の手段ではないかと思う事がある。

まず彼女達は、時代の先端と「同化」したいと願い、流行の服やメイクで、移り行く時代のスピードに身を任せる。そのめまぐるしいエネルギー感は、一瞬凡百の大衆と「異化」して、特別な存在に生まれ変わった自分を感じさせてくれるマジックを生む。

しかし、所詮それは流行の川上に居る“誰か”がねつ造したスタイルを、盲目的にコピーするものに過ぎない。残酷な言い方をすれば、“ファッションリーダー”と呼ばれる消費者の先頭に立ったところで、“これから流行する”「大多数のベクトル」を、ほんの少し先に経験するだけに過ぎない。

要は、「平凡を先取り」しているだけなのだ。その快感すらも、永続的に続く訳ではない。現代社会の消費のめまぐるしいサイクルは、ぼやっとしていると、すぐ「最先端」を「陳腐」に変えてしまう。現に、渡辺が傾倒した当時の“ギャル”ファッションすら、今となっては失笑を誘う一過性の風俗にすぎなくなっているではないか。

程度の差はあれ、そんな“自分の居場所を探す漂流”に身をゆだねた同時代の少女は何万人と居たことだろう。

渡辺も「個性的でありたい」と願いながら、逆にその為行動が、自分を凡庸に沈ませるという罠に気づいたのだろう。所詮、「流行」という“借り物”の感性が、自らの存在を特別な物に高めてくれるわけではないのだ。友人とのちょっとした諍いが起きた事を境に、一切の“ギャル”ファッションを放棄した渡辺は半年近く自宅に逼塞する事になる。

自ら当時を揶揄して「ヒッキーだった」と笑う渡辺だが、この時期に「借り物ではない自分」を探すメンタルの彷徨が始まっていた事は間違えない。無意識の内にも、停滞に活を入れる新しい標的を探す、レーダーが働いていたのだから。そして、数ある可能性の中から、自分の存在を「輝かせる」為の方法論として、渡辺は“ギャル”から“ジョシカク”にモードを切り替え、リングに上がる道を選んだのである。

リングの上で勝ち名乗りを受けるのは、常にただ一人である。
勝者は誰のコピーでもなく、自らの努力と行動の結果で自ら光を放ち、そして輝く。新しいファッションを身につけ街行く人の目を奪うのが、儚い星の瞬きのようなものなら、格闘家として生きる事は、自ら強力な光を放つ太陽になる事に他ならない。

渡辺は常に言う「女子でもこんなカッコいいヤツが居るんだ、と男のファンに思ってもらえるようになりたい」と。その志の核には「女子枠越え」というテーマがある。

“男子格闘技”のお添え物としてスタートした女子格闘技は、どうしても男子の興行より低く見られるし、技術的にも高いとは言えず、ファンの期待度も薄い。また、女子が拳を奮い、顔面を血だらけになって殴り合う姿に、嫌悪感を隠さないファンもまだまだ多い。そんなアゲンストの状況で、渡辺はあえて「自己実現」の舞台として格闘技を選んだ。

嫌悪感や蔑視も、存在が突出して行けば、逆に追い風に変わる。
そんなマジックを実現するためにも、女子枠の中で留まっていてはいけない。そんな危機感と野心が、渡辺のふてぶてしいまでの言動の裏に、常に感じられるのだ。