柔道着という“凶器”が、なぜ許されるのか

今回試合前に秋山側のボディチェックを担当したのは、芹沢健一サブレフェリーだったわけだが、競技運営的に言うと彼は二つの大きなミスを犯している。

秋山選手の入場曲が終わってしまいそうだったので、リング下で芹沢サブレフェリーが道衣を脱ぐか着るかを確認。秋山選手から「脱ぎます」という返答があったため、とりあえずリングインさせ、リング上でボディチェックをすることにする。芹沢サブレフェリーは秋山選手の道衣の中に手を入れ、体に直接手を触れて異物の存在、オイルの有無をチェックしたが、異常が認められなかったので、通常通り試合を開始することにした。

映像を確認している段階で、試合直前のボディチェックの際、芹沢サブレフェリーによる秋山選手の下半身チェックは、道衣の上からしか行っていないことが判明。チェックミスが発覚した。



(FEGによる調査報告書より抜粋)

要するに芹沢審判員は、イベントの演出として、テーマソングが終わる前に選手をリングに上げてしまわねばならないという、“気遣い”を“身体チェック”より優先させてしまっているのである。もちろん、「Dynamite!!」は国内最大規模の商業イベントであり、全国にテレビ中継されているという舞台である。イベント進行に澱みが生じてはならないという要素は、もちろん考慮されなばならない。

しかし、真剣勝負の格闘技である以上、イコールコンディションで選手をリングに上げるということは、そうした付随的な事象よりももっと優先されねばならない“絶対条件”であったはずだ。

テーマソングが終わろうが、ボディーチェックが完全に終わるまでは、自分の担当する選手を絶対リングにあげない、という厳密性が残念ながら芹沢審判員にはなかったということになる。

またもう一点、ここに陥穽がある。

秋山サイドに「胴衣着用で試合をすることもできる」という、“曖昧な選択肢”があったことだ。

Hero'sに限らず、PRIDEでもこれは同じなのだが、日本に総合格闘技イベントは、着衣規定が非常に甘い。

先にも書いた事だが、柔道や柔術といった選手のルーツを“記号”として観客に伝える装置として、試合中にもこれらの着用を許してしまうのである。これは正直言って厳正な競技運営にとって百害あって一利なしの、「悪癖」以外の何者でもない。

かつて吉田秀彦が田村潔司戦でフィニッシュホールドに、自らの胴衣の袖部分を使って相手のクビを締める「袖車」という技を披露したことがあるが、通常のMMAの感覚から言えば、帯や胴衣といった裸体の対戦相手が持つことの出来ない“凶器”が試合中に使用された、無茶苦茶な決着でしかない。

またHero'sでは、須藤元気が「カンフー服を着用して闘いたい」というワガママを言い出し、それを受けて“着衣自由/顔面塗布物自由”という無茶苦茶なルールが採用された事さえある。(“人気選手であればどんな無茶も許す”という、このHero'sのあまりの融通無碍なユルい運営方針が、最終的に秋山のヌルヌル事件の遠因にもなったのではないかという気がしてならない。)

言ってみれば、それはプロレスの感覚なのである。胴衣着用は、言い換えればメキシカンプロレスラーのマスク着用や、ECWやFMWのように凶器の持ち込みを許したプロレスと何ら変わる所の無い“無法”だ。

初期のUFCではホイス・グレイシーが柔術着を来てオクタゴンに入った時代もあったが、十年の歴史を経てきちんと競技化の進んだ現在、そのホイスですらも、2007年5月に行われたマット・ヒューズとの対戦の際には、ネバダ州アスレチックコミッションの規定にしたがって、裸身での試合に応じるようになっている。

今回の秋山のケースで言えば、芹沢審判員は、「秋山は胴衣を着たまま試合をする選手」とういう先入観に幻惑されたのではないかと思われる。これまで秋山が胴衣を脱いで試合をしたのは、10月のライトヘビー級トーナメント決勝戦の、ケスタティス・スミルノヴァス戦のみ。したがって、リング下で意思表示するまで、秋山には着衣/裸身の選択肢のいずれもが考えられる状況だったのである。

事実、そのどちらで闘うつもりかという戦前のインタビューに対しても、秋山は「リングに上がった時のインスピレーションに任せたい」と煙に巻くような発言を行っている。

胴衣を着用していれば、当然身体にどんな塗布物を施していても、競技に影響は出ない。

K-1の分析文書でも、この時の芹沢審判員のチェックについて

(5) 映像を確認している段階で、試合直前のボディチェックの際、芹沢サブレフェリーによる秋山選手の下半身チェックは、道衣の上からしか行っていないことが判明。チェックミスが発覚した。


という記述がされている。これは推測に過ぎないが、芹沢審判員には「秋山は胴衣で試合をするだろう」という予断があったのではないだろうか。だからこそ、リング下で着衣を脱ぐと宣言した(とされる)秋山に対して、きっちり皮膚表面をチェックしなければいけないという意識が抜け落ちたような気がしてならない。これに加えて、“テーマソングが終わりかかっている”という気持ちの焦りも手伝って、彼のチェックは形だけのものになってしまったのであろう。

当日生中継された放送をチェックしても、リングに上がっても秋山は一切着衣を脱ぐという気配を見せていない。リングイン直後に、ホイス・グレイシーによる花束贈呈のセレモニーがあり、芹沢審判員はその直前の短い時間に、秋山の胴衣の上からポンポンと異物の有無を確認するような動作をしているに過ぎず、そそくさとリングを降りてしまっている。

もうこの段階で、この試合を公正な物とする“免疫”機能は、全てパスされてしまったのである。

秋山事件なぜストップできなかったか?(11)に続く

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