“女・桜庭”辻結花の独走
美女格闘家2位 辻結花 完成されたスタイルと、ユニークなキャラ。プロ女子選手として瞬く間にトップに駆け上ったレスリング・クィーン。現スマックガールライト級王者。 |
1974年生まれ。デビュー当時は27歳。大学入学後始めたレスリングでみるみる頭角を現し、99年ポーランドオープン優勝、'00スウェーデンカップ優勝などの実績を持ち、山本聖子とも対戦経験をもつアマレスの実力者だったのである。大学卒業後、一旦はレスリングシーンを遠ざかったが、「やる事が無くて物足りない」と、地元京都の格闘技道場「闇愚羅」に所属、総合格闘技に転向、東京での「ジョシカク」シーンの盛り上がりを受けてのデビュー戦であった。
ボーイッシュなショートヘアに、色白でくるりとしたチャーミングな目を持つこの選手の登場は衝撃的な“事件”であった。
“天然格闘少女”の異名を持って、小型の台風のようにリング狭しと暴れ回った星野は、間違えなく初期女子総合の牽引車であった。しかし技術的にはまだまだラフな“原石”に過ぎない存在でもあったのだ。リング上のキャリアこそ星野には劣るにせよ、八年間のアマレスキャリアを持ち、年齢的にも27歳と高かった辻は、デビュー戦にして既に“勝てるスタイル”を血肉にした「完成品」の趣があったのである。
多分、この一戦は、星野から辻へ、ジョシカクの中心軸がバトンタッチされた契機となったのかもしれない。その後、AXはその後半年ほどで活動をフェイドアウトさせる事になり、星野は女子競技者の取り込みに着手した修斗の公式戦にも参戦するが、2003年2月23日の修斗後楽園大会でラストマッチを行ったあと、選手活動の休止を表明。本能の赴くままに闘い続けてきた、若き弾丸娘の活躍期間はなんと約二年余り。疾風怒濤の選手生活であった。
星野から辻へ。この女子格闘技界の主役交代劇は、技術的に玉石混交であり、選手たちの「闘いたい」という一途な熱意だけで成立して来た初期女子総合シーンにも、技術水準アップによる「淘汰」の波が押し寄せて来たことを告げる、象徴的事件であった。