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2.24魔裟斗不在のK-1MAXを揺らした男 「MAX最終兵器KID登場(下)」(2ページ目)

魔裟斗に続く日本No.2決定戦となった2.24K-1MAX Japanトーナメント。大本命の村浜をぶちのめして、いきなり全国区に駆け上がった山本“KID”徳郁とは何者か?

執筆者:井田 英登

■人生最大の飛躍だった修斗転向

大学卒業後、エンセンの主催するPUREBRED大宮ジム所属の選手として、全日本アマ修斗を初参戦で制覇してプロライセンスを取得すると、翌年3月にはプロ修斗デビュー。このとき、少年時代のあだ名「KID」をリングネームに選択。

塩澤正人相手に、アマレス出身というバックグラウンドを忘れさせるような、スタンドでの強烈なパンチ合戦を展開して、ファンの度肝をぬいたデビュー戦だった。すでに相手をにらみつけて威圧、遮二無二打って掛かる“KID流”のファイトスタイルの基礎は完成していたのである。。試合後、KIDは「元から立ち技で行くつもりで、タックルは最終手段と考えていた。打撃戦を狙ったのはお客さんを意識したから」と新人離れしたコメントものこしている。強心臓、ビッグマウス、喧嘩腰という、三種の神器も既にそろっていたわけだ。

それはともかく、当時、まだPRIDE戦線で戦っていたエンセンはタイにムエタイ修行に行くのが慣行となっており、常にそれに随行していたKIDも打撃の基礎をそこで築いていたのである。

この白星デビューで一気に注目の的となったKIDは、その年の三戦を全て白星で飾り、修斗2001年度の“ルーキー・オブ・ザ・イヤー”を受賞。翌年にはいきなり、3月の興行でメインに抜擢される。このまま一気にライト級のタイトル取りへと一直線かと思われた矢先、この試合は対戦相手のドタキャンにより中止。

続く5月の後楽園大会は仕切りなおしとして当時ランキング3位のステファン・パーリング戦がメインに組まれた。KIDはランキング8位。当然、王座に君臨するノゲイラ戦を視野に入れた、天下取りシフトである。

既にKIDのアグレッシブなファイトは評判を呼び、かつての四天王(佐藤ルミナ、桜井マッハ速人、エンセン井上、朝日昇)の時代を髣髴とさせる人気を博しつつあった。KIDもその期待を背に、いつものラフなパンチ合戦より、確実に勝負の決まるグラウンド戦を選択したらしい。序盤、いきなり両足タックルから入ったKIDの額を、パーリングのヒザが急襲。ざっくりと血が溢れてKIDの金髪を染める。まるで、K-1vs猪木軍対抗戦のミルコvs藤田戦の再戦のようなシーンであった。

ドクターストップ。
この一戦あたりからKIDの磁場が狂い始めたのだった。
前述の乱闘騒ぎ、あるいは怪我による相次ぐ欠場など、期待されたタイトル取りは進まない。修斗での位置が非常に曖昧になり始めた矢先、このK-1 MAXの参戦が決定したのだった。
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