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2.24魔裟斗不在のK-1MAXを揺らした男 「MAX最終兵器KID登場(下)」

魔裟斗に続く日本No.2決定戦となった2.24K-1MAX Japanトーナメント。大本命の村浜をぶちのめして、いきなり全国区に駆け上がった山本“KID”徳郁とは何者か?

執筆者:井田 英登

■実はスポーツエリート一家の出身

この日リングサイドには、女子アマチュアレスリングの超有名選手である山本美憂と聖子の姉妹が陣取っていた。KIDはその姓からも判るとおり、かつて2回の世界王者となり、その美貌と実力を喧伝された山本美憂の実の弟なのである。

たまたま試合当日の2月24日は、アテネ五輪の選考会でもある女子レスリング「ジャパンクィーンズカップ2004」の二日目と重なった。アテネオリンピック出場権が賭けられたこの大会、美憂は48キロ級準決勝で坂本真喜子に、聖子は55キロ級決勝でライバル吉田沙保里に敗退。二人はアテネ行きの切符を手に入れる事が出来なかった。

大金星を挙げてリングを降りるKIDと、敗北の痛みを忘れて大はしゃぎで祝福する二人の姿を、リングサイドカメラマンが取り囲む。これまで常にマスコミ報道では美人姉妹二人を中心の話題が報じられてきたわけだが、この日ばかりは「長男」KIDが、山本一家を代表する大黒柱として浮上することになったのである。


三人の父・山本郁栄氏は、ミュンヘンオリンピックの日本代表として知られる。その後も日大アマレス部のコーチとして活躍し、三人の子にトップアスリートとしての英才教育を施す。特に長女の美憂は早くも十代半ばで頭角を現し、19歳の若さで世界選手権を制する最年少記録を樹立する。マスコミが、この天才美少女を見逃すわけもなく、時の人となったのは記憶に新しい。

そのサラブレッドの血を引いた聖子も、99~01年の世界選手権三連覇を成し遂げ、山本一家の健在ぶりを示した。ただ、この二人の後塵を拝する形で、KIDの戦績は伸び悩んだ。山梨学院大に進学したKIDだが、才能は周囲も認めるものがありながら、代表選考ラインギリギリの成績が続く。聖子が世界選手権を初制覇した99年には全日本学生選手権(インカレ)優勝、全日本2位まで上り詰めたものの、2000年開催のシドニーオリンピック代表入りは果たせず。(当時からやんちゃだったKIDには夜遊び癖があり、代表選抜の合宿を抜け出して喧嘩騒動を起こした事があるという。代表入りを果たせなかった原因の一つに、この事件を上げる識者もいる。)

マスコミの寵児となった聖子とは、ある意味明暗を分ける事になったアマレス時代だが、この前後に姉美憂がエンセン井上と再婚したことからKIDには猛一つの道が開ける。そう、義理の兄であるエンセンは、KIDの喧嘩っ早い資質に、総合格闘技での活躍の可能性を見出していたのだった。
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