■行方不明のヒクソンを巡る暗闘
格闘技のコアなファンである方にはすっかり既成の事実であると思うが、昨年(2001年)の2月にヒクソンは長男のホクソンをバイクの事故で失っている。
以来ヒクソンの対戦スケジュールは一切が白紙に戻された。当時、交渉権は連続開催が噂されていたコロシアム2000の開催グループにあったといわれ、小川を対戦候補にあげた交渉が行われていたが、そこに桜庭を対戦相手に立てて、三度めのヒクソン招聘を目論むPRIDEは、逆にその弔問外交からの交渉再開を目論むと言う、デッドヒートを演じた。
その後運営グループの空中分解状態によってコロシアムはレースから自然に離脱した形となる。一方、同年7月のPRIDE15にはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが登場。一見無関係に見えるブラジリアントップチームの参戦だが、かつてリングス時代に前田日明とヒクソンの対戦の交渉に当たり、キム夫人とも結びつきの強いブッカーのU女史をスタッフに加えたことで、PRIDEのヒクソン捕獲網は確実に収束していくはずだったのだが。
当のヒクソンは、最愛の長男を失った喪に服すようにして沈黙を守った。
その後ヒクソンが公式に日本のマスコミの前に姿を現わしたのは、事件から一年余が経過した今年の四月のことであった。42歳になったヒクソンは、自らのプロデュースによる写真集を発刊。そのプロモーションで来日し、現役継続を宣言したのであった。
しかし、年内にも行われるとされたその復帰戦のマットは、相変わらず謎に包まれたままであった。
そして8月8日に東京ドームのリングサイドに姿を現わすまで、ヒクソンはどこに居たのか? 確認された事実として、ヒクソンはリオ・デ・ジャネイロで7月25日~28日に渡って開催されたブラジリアン柔術世界大会(ムンディアル:CBJJ主催)の会場に、エリオ、カーウソン、ホイラー、ヘンゾ、ハイアンらグレイシー一族と姿を現わしている。今大会を中継した日本テレビの関係者が明かすところによれば、さらにその直前には、例によって数週間にわたる山中特訓に入っていたというのだ。おそらくは、長男死亡の悲しみに暮れた一年間を洗い流すための禊のとして、故郷ブラジルの山野に籠り、再び実戦へと乗り出すための刃を研ぐためだったのだろう。だが、その行動はまったくUFO陣営の思惑の外だ。ヒクソンが外界との連絡が一切ない状況に入ってしまったということは、UFO側もこの間、全くヒクソンとコンタクトがとれなかったわけで、大会開催へと怒濤の勢いで進行していくなか、ヒクソンのゲスト来日に関して確約がとれなくなってしまったのである。
この間、小川と川村社長の言動の乖離は、補足情報無しのまま放置される事になってしまった。
ようやくリオのムンディアル会場に姿を現わしたヒクソンとコンタクトがとれ、一般発表となったのはまさに大会6日前の8月2日。この日同時に発表された藤田VS安田戦に、当事者の藤田が不満の意志を表明、会見が紛糾した事もあって、ヒクソン来日のニュースは、さらに6日のパーティーでアントニオ猪木氏がぶちあげた「タイソン来日」といった発言にもかき消されるように、その他大勢のゲストの中に紛れ込んでしまった。今考えると、そのタイソン招聘の話題も、万が一ヒクソンが来日しなかった場合のカードとして急きょ準備されたものだった事が解る。
PRIDEとのつばぜり合いもあって、ヒクソンと言うカードを巡る状況は、それだけデリケートな事件になりつつあったわけだ。ヒクソンが飛行機に乗って成田を目指したといっても、それは地球の裏側のリオでの話。いつ不測の事態が起きたり、阻止の手が動くかもしれないのである。山籠り期間の連絡の不通も、UFO側にとっては不安材料以外の何ものでも無かっただろう。大会の六日前になるまで、切り札「ヒクソン」の名を全く口に出せなかった川村社長にとっては、まったく不幸な巡り合わせだったとしか言い様が無い。
こうして本来ヒクソンの存在がその中央にあってこそ、初めて全体の構図が姿を現わすはずであったUFO Legendは、まさに軸を失ったスピンホイールのように空転し、ファンにほとんどその意義を十分伝えられないままに当日を迎える事になったのであった。