「永遠の妖精」オードリー物語
オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)は1929年5月4日のオランダ生まれ。本名は、オードリー・キャスリーン・ヴァン・ヘームストラ・ヘプバーン・ラストン(Audrey Kathleen Van Heemstra Hepburn-Ruston)。特に日本の映画ファンに絶大なる人気を誇る名作映画のアクトレス=オードリー・ヘプバーン!人に優しく自分に厳しい生き様、上品で繊細な美しさ。まさに「大和撫子」のような外国の映画スターではないでしょうか。
ガイドは俳優の私生活にあまり興味はなく、映画の中の役としてその人物像を演じ分けるスターを見たい方ですが、オードリーは、私生活・生き様が映画の役柄さえも凌駕する存在だったことを知りました。
今回は、同じ姓のキャサリン・ヘプバーン(姉妹ではありません。念のために)生誕100年の前におとずれる、オードリーの生誕80年を記念して、彼女の映画からは見えない部分にまで触れてみます。
オードリー「スターへの道のり」
オードリーのドキュメンタリー THE MAGIC OF AUDREY『マジック・オブ・オードリー』 画像提供:スター・チャンネル |
第二次世界大戦終結後、オードリーの一家はロンドンに移り住み、母のエッラは様々な職に就いて家族の生計をまかない、オードリー自身もエージェントの持ち込む映画やテレビの端役をこなし、母・家族を支えた結果『初恋』で主役の妹でバレリーナの役柄(準主役)を演じる幸運に恵まれます。
そして、『モンテカルロへ行こう』の撮影のために訪れたリヴィエラ(フランス)で、同地に滞在していた女流作家のシドニー=ガブリエル・コレットに見出され、彼女のブロードウェイ上演舞台作品である『ジジ』のタイトルロール ジジ役に大抜擢!ここからオードリーの素晴らしいキャリアがはじまります。
アカデミー賞の主演女優賞を獲得した、出世作にして代表作 『ローマの休日』 |
『ローマの休日』で共演した当時の大スター、グレゴリー・ペックは、公開前にオードリーのアカデミー主演女優賞受賞を確信し、ポスターの名を新星オードリーを自分と同等にするよう進言します。
『麗しのサブリナ』で共演した、プレイボーイで名高いウィリアム・ホールデンとは浮き名をながしながらも、子供が欲しいオードリーはウィリアムに子供ができないことを知りロマンスに終止符をうち、ウィリアムは永遠にオードリーに片思いのまま、晩年はアルコール依存症となり1981年 帰らぬ人となったのです。また、『麗しのサブリナ』でオードリーに2着の衣装を提供したファッション・デザイナーのジバンシーは、その後も公私に渡り衣装を提供、二人の友情は続きます。オードリーは多くのセレブの心をも掴むホンモノの「妖精」でした。
オードリー「結婚・子供・晩年」
1954年に俳優のメル・ファーラーと結婚、何度も流産(中には撮影中の落馬もあります)しますが、待望の息子ショーンが生まれます。そして離婚。1970年に、年下のイタリア人精神科医アンドレア・ドッティと再婚し、男児をさずかるも離婚。以降亡くなるまで、オランダ人俳優ロバート・ウォルダーズと同棲しました。1989年のスティーヴン・スピルバーグ監督作品『オールウェイズ』を最後に女優業を引退し、国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任。当時内戦の続くソマリアやスーダンなどの子どもとふれあいます。1993年1月20日、スイスのトロシュナという村で大腸癌により亡くなりました。
次ページは、5月4日の誕生日に「スター・チャンネル」で放映される3作品のご紹介です。