銀行員ラルフ・ドーパー
ガイド:ラルフ・ドーパーがツアーに参加しないのは銀行の仕事が忙しいからだなどという話も当時はありました。彼は最初からステージには出ないという契約や役割分担があったのですか?
クラウディア:
そうなのよ。ラルフは銀行員でその業務があったのよね。おかしかったけど(笑)。(メディアがでっちあげたつくり話じゃなくて)あれは本当のことよ。ラルフはコンセプト担当でアイディア・マンだったから、ツアーに出る必要もなかったの。プロパガンダはツアーに必要なプレイヤーを入れ替えしているようなバンドだったし、ラルフは楽器の演奏が一流のミュージシャンってわけでもなかったからツアーに必須というわけでもなかった。でもバンドのメンバーとしては絶対に必要な存在で、特に歌詞だとかコンセプト作りにね。シンプル・マインズのデレク・フォーブスやブライアン・マクギーなんかがツアーに同行してくれるっていう素晴らしい機会も与えてもらっていたし、ラルフは銀行の仕事を離れられないぶん、彼の得意な部分を担当していたの。
プロパガンダ解散とACT結成
ガイド:プロパガンダ後に、トーマス・リアとACTを結成する経緯を教えてください。
クラウディア:
プロパガンダとZTTの契約内容が全然良くなかったし、マネージャーもひどくて、ZTTを離れようってことになったの。個人的にはあれが最大のミスだと思っているけど、トレヴァーとリプソン、ポールとジルが必要不可欠だってことにあの時メンバーは気がつかなかったのよね。成功させるにはバンドメンバー4人だけの力だけじゃどうにもならないって。わたしは当時ポール・モーリィと結婚していたし、スティーヴとトレヴァーと作業するのがすごく好きだったから、印税に関してはそういうものだと思っていた。でもバンドメンバーはZTTを去るって決めて、それはもうわたしにとっては本当にすごく悲しいことだったの。
ちょうど当時トーマス・リアがZTTのアーティストになりたくてレーベルにアプローチしてきていて、最初はポール・モーリィのアイディアだったんだけど、トーマス・リアと2人でZTTで曲を書いてみたらどう?ってことになって。わたしはプロパガンダが解散して楽曲の書ける人を探していたし。トーマスとの作曲作業は楽しかったから、ACTという形にしたの。わたしにとってはプロパガンダ解散のショックから自分を見つけ出すためのプロジェクトだったわ。どこを目指すかっていうのもはっきりしていなかった。ただ、ACTとしてプロパガンダみたいなものを作りたくはなかった。プロパガンダはプロパガンダで、プロパガンダのメンバー以外とプロパガンダの音楽を制作したくはなかったの。だから全然違ったものをやりたいと思っていた。トーマスはポップな要素を持っていて、ダークな面もあったんだけど、ダークさからは遠ざかりたいと思っていたの。87-88年くらいね。UK的でデカダンスなコンセプトを持っていて、そこから探り出していったアルバムよ。
ACTの問題は2点あったと思うわ。まず、時代を先取りしすぎていたこと。わたしたちの皮肉さがリスナーに理解されなかった。その皮肉さを受け入れる準備がリスナーにはなかった。それから、わたしにとったらあれは自分の中ですごくポップな時代だったのに不思議だなって今でも時々思うんだけど(笑)、おそらく、リスナーは直接的な批判に慣れていなかったのよね。例えばイギリス人にむけたような批判もあったし。特にイギリス人は批判されるのが嫌いなのよね。そういう意味で、ACTのアルバムは本当にインテリジェントな作品だったと思っているわ(笑)。トーマスといつも、「時代が追いついていないだけなのよ。リスナーはそのうち気がついてわたしたちに追いつくわよ」って話しているの。ドイツ人のボーカリストとしてイギリス人を批判するっていうのも世間的にはプラスの要素じゃないわよね(笑)。とにかくACTはすごく楽しかった。今になっては生意気に聞こえるかもしれないし、実際贅沢だったと思うけど、パトリック・リッチフィールドにわたしたちの写真を撮ってもらったの。ジャケットに彼の名前をクレジットしたいって思ったし、そういう贅沢さを出したかった。デカダントな時代で、コンセプトにもあっていたわ。
ポール・モーリィと作業するのはすごく楽しかった。彼は自分のアイディアを極限まで引き上げてみるのよ。それはすごく特別で、彼はただのA&Rマンじゃなくて本物のコンセプショニストだった。自分のしたいことをするクリエイティヴな自由っていうのがあるならそれが重要よ。少ないバジェットでリスクを負わないみたいなのが最近多いでしょ。それが今の音楽業界を反映しているのかもしれないけれど。
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