このガイドサイトを見ていただいている方には、1980年前後のテクノポップ・ブームをリアルタイムで体験した人、その後何らかのきっかけでテクノポップに遡り興味を持った人などが居るのではないかと推測します。2000年に入って、エレクトロクラッシュやニューウェイヴ・リヴァイヴァルや80年代カヴァーなどの動きも手伝って、テクノポップに興味を持った人も増えたのではないかと思います。テクノポップだけ聴きましょうと言うつもりは毛頭ありませんが(先生自身もテクノポップよりももっと古いのから最近の流行りモノまで雑食です)、テクノポップをもっと知ってもらう戦略的目的で書きました。そこそこ知っている人にも楽しんでもらえるように、トリヴィアも交えてみました。
最初のテクノポップは?
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Autobahn |
テクノポップの語源については後述しますが、最初のテクノポップ、いやまだテクノポップという言葉は普及していなかったから、テクノポップの先駆けとは? テクノの神様と奉られるクラフトワーク(Kraftwerk)の1974年のアルバム『Autobahn』をその先駆け作品として認定したいと思います。これはクラフトワークのデビュー盤ではありません。クラフトワークは、ドイツのプログレことクラウトロックから明らかにこの作品でポップ化します。モダンワールドをコンセプトにキッチュでポップなセンスを取り入れて生み出した反復の美学で・・・まさにテクノポップの要素が組み込まれた作品と言えます。タイトル曲の「Autobahn」は、「fahren fahren fahren (fahrenはdrive)」というリフレインがあり、これがビーチ・ボーイズの「Fun, Fun, Fun」からの影響を指摘する意見もあります(ビーチ・ボーイズからの影響は肯定してるようですが、このフレーズについては偶然の一致とのメンバーの見解もあります)。そして、このアルバムは保守的なアメリカのビルボート・チャートにおいて5位にまで上り詰めるのです。
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Best Of Moog: Electronic Pop Hits From The 60's & 70's |
もちろん、電子音楽という切り口ではもっと早かったです。シンセサイザーを使わないテクノポップというのも有り得るのですが、シンセサイザーとテクノポップの関係は、エレキギターとロック、アコギとネオアコ、シタールとインド音楽のようなものです。シンセサイザーの父とされるロバート・モーグ博士が2005年8月21日に71歳で永眠されましたが、モーグ博士によると「シンセサイザー」と呼び始めたのは、1967年との事。アルバム『Best Of Moog: Electronic Pop Hits From The 60's & 70's』(1999年)では、68年ごろから72年ごろまでのペリー&キングスレイ(Perry & Kinglsey)やマーティン・デニー(Martin Denny)などによる所謂、モーグ・サウンドと呼ばれるモーグ・シンセサイザーで作られたラウンジーなインストを集めています。ディズニー・ランドでの「エレクトリカル・パレード」でも有名なペリー&キングスレイの「Baroque Hoedown」も入っています。その1曲目に収められているのが・・・
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Popcorn |
1972年に世界的に大ヒットしたホット・バター(Hot Butter)による『Popcorn』です。オリジナルは作曲者でもあるアメリカに移住したドイツ人、ガーション・キングスレイ(Garshon Kingsley)が1969年にアルバム『Music To Moog』に収録した曲ですが、ホット・バターの前にキングスレイ自身の加わったFirst Moog Quartetで再カヴァーし、ホット・バターでブレイクしたのです。「Popcorn」は電子音楽としてはポップの要素も強く、ルーツとしては重要な存在だと思います。後に日本のテクノポップ・シーンでの最重要レーベルとなるアルファ・レコードが、『Popcorn』の最初のヴァージョンを1970年に発売している事には何かの因縁を感じます。
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Abbey Road |
67年ころからビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズ(Rolling Stones)、ザ・フー(The Who)などのロック&ポップ系ミュージシャンもシンセサイザーなどの電子楽器を導入し始めます。有名なのはビーチ・ボーイズの「Good Vibration」におけるテルミン(まだシンセサイザーとは言えないですが・・・)ですね。ビートルズの最終レコーディングとなった『Abbey Road』(1969年)でも5曲にシンセサイザーが使われいますが、その中でもポールが強い思い入れでシングルにしようと頑張ったらしい曲「Maxwell's Silver Hammer」ではシンセサイザーが目立っています。Musician誌86年10月号のインタヴューでポールは「
作るのに3日もかかったね。トレヴァー・ホーンがフランキー(Frankie Goes To Hollywood)でシンセサイザーのスイッチを入れるの2日もかかり、ビートルズ時代はシンセサイザーのスイッチを見つけるに2日もかかっていた。」とのコメントをしてます。後に、ポールが『Flower In The Dirt』でトレヴァーにプロデュース依頼をするのも興味深いです。