デビュー・アルバム
――では、デビュー・アルバム『Phut Cr@ckle Tokyo [K]』について伺います。お二人はほとんど顔を合わせる事がない状態だと聞いて、アルバム製作のプロセスにとても興味をもちました。オーディオファイルはどのようなフォーマットで送り、一つの曲を仕上げるのには何度くらいのやり取りがなされたのでしょうか?K&S:普通の音声ファイル(WAVEとかAIFFファイル)を「ファイル特急便」で光速ブロードバンド転送してやりとりをします。マルチトラックをバラしたファイルが光の速さで部屋に飛んでくるたび便利な時代だなとつくづくおもいます。1曲を仕上げるためにやりとりする回数は1~20往復ぐらいでしょうか。ものによっていろいろです。
――ちなみにお互い、どのくらい知らない同士なんですか?
K:あまり知らないようでいて意外と昔からよく知っているような感じですかね。
S:ようやく最近「Kawatoryさん」じゃなくて「カワちゃん」と呼べるようになりました。
SL@yRe&The Feminine Stoolξ/photo by Wataru Umehara (contrapost) |
K:お互い個人に委ねてはいるんですけど、ぼくは素っ頓狂で可憐な音響と、体が自然と動き出す衝動の演出です。
S:「音楽はコンセプトがすべてだ」と言われるほどに、コンセプトは大事みたいです。しかし、コンセプトを意識した音楽が素晴らしいかと言うと、必ずしもそうでもないようです。僕たちは幸運なことに、コンセプトを意識せず、無意識のうちにコンセプチュアルな思考を排除することがコンセプトになっていることに途中から気づいたところから、とても楽になりました。強いてコンセプトをわかり易く言葉にするなら・・・「とんち」ですかね。
ここで面白いのは、コンセプトを意識しないことによって、この二人の間でさえ、お互いに誤解の元に成り立っている理解もあるということです。だからリスナーの方には、さらに訳のわからないものとして届いているかもしれません。今後も誤解だらけのコミュニケーションを、僕、Kawatory、そしてリスナーの皆さんの間で楽しめたら本望です。
K:誤解や飽きなどはネガティブに捉えられがちですが、そういった普通は創作の障害になりかねないものを土台に、無理矢理表現として成り立たせてしまう事を割と楽しんでいる節があるのだと思います。パソコンが暴走して強烈な3秒間のブラウンノイズだけを残して3日分の作業が全部消し飛んでしまった、自分で作ったはずのない音色がいつの間にかトラックの中に膨大にまぎれこんでいた、とか、そういうハプニング体験も重宝します。あとはそれらを踏まえたうえで大きな意味でのレベルミュージックを目指しています。
――個人的にぐっと来たのが最後の2曲。「8910」は、ピアノ曲で始まったと思うと、どんどん変化して行って、重なるように始まるエンディング部分がとても意外で琴線に触れました。ラストの「Translayerd Retrovertigo」は、こんなにファンキーなエレクトロニカって珍しいと・・・ある意味「Riot In Lagos」的でした。
K:ありがとうございます。「Translayerd~」は骨太なファンキーさ加減と愛くるしいチャームな部分が交錯したりのしかかり合ったりしています。8910は「1980」というレトロフューチャータッチの楽曲をさらに未来派電撃サルサとして再構築したものを更に丹念に仕上げたものです。20世紀の80's と 90世紀のどこかを彷徨いつつ行き来しています。
S:僭越ながらチョットだけ種明かしをしますと、「Translayerd~」は僕がKawatoryのスタイルを模倣してメインのメロディーを作りました。あのメロディーと、バッキングのモードをわざとずらしたんですが、それをKawatoryに渡したら、さらに僕が想像していたものとかけ離れたベースラインが付いてきて、なんともポリモーダルな曲になってしまいました。そのモードのズレ加減がファンキーさを醸し出しているのかもしれません。ただ、巷にはポリモーダルな曲はたくさんありますので(特にカットアップ業界)、僕らが特別なことをやっている訳ではありません。
SL@yRe&The Feminine Stoolξ feat. Ryota Kuwakubo/photo by Wataru Umehara (contrapost) |
K:御三方の作品はどれもたくさん聴いたのでかなり影響を受けていると思います。特にハラカミさんの『レッドカーブ』は直近で間違いなく大きな衝撃を受けた作品のひとつです。
S:僕が幼少のころから、現在まで、常に影響を受け続けてきた方々です。自分は音楽中心の人生を歩んで来たつもりはありませんでしたが、実際に御三方にお会いして、あまりに自分が緊張、興奮していることに気づいた時、この脆弱なアイデンティティの深いところまで入り込まれていたことを悟りました。平たく言うと、一瞬で子供に戻ってしまった体験でした。