なるほどね。自分では気が付かなかったですけどね。僕の気分もあるだろうし、バンドとしては、バンドのカラーを考えてやった結果ですね。
――それが、リスナーとしては、ある意味、トニー・マンスフィールド的で、嬉しかったりもしたのですが。トニー・マンスフィールドは、お好きですか?
好きですよ。ニュー・ミュージック、「k」で終わるやつ(New Musik)は、大好きです。あれは、何故再評価されないんですかね。80年代テクノが、再ブームになったりしているわりに、New Musikは知られていないよね。あれは、聴いた方がいいですよ、若い人は。どうして、クラフトワークばっかり再評価されるんでしょうね。
Real Fishとしても活動
――Shi-Shonenと平行してやっていた水族館レーベルのバンド、リアル・フィッシュとして3枚のアルバム、『天国一の大きなバンド』(1984年)、『テナン』(1985年)、『4 - The World Was Young』(1987年)をリリースされていますが、リアル・フィッシュは誰の影響力が強かったのですか?矢口(博康)が人間的にまとめて、僕が音楽的にまとめて、(福原)まりが曲を書いて、渡辺(等)君がちゃちゃを入れて、美尾(洋乃)さんがふらふらしてた・・・(笑)。
――シングルでも出た『ジャンクビート東京』(1987年)は、同じビクター系のサザンの桑田さんがゲスト・ヴォーカルですが、これだけ、かなりリアル・フィッシュ・サウンドとしては、異色のエレクトロ・ラップですね。
あれは、僕のわがままですよね。今でも、日本で一番のラッパーだと思うんですけど、いとうせいこう君の「東京ブロンクス」があまりに衝撃的で、リアル・フィッシュの『4』が出来てもう一枚シングルを出そう、もうリアル・フィッシュも最後かなという時期に作ったんです。
――桑田さんは、あの曲が気に入って、欲しいと言われたらしいですね。
「サザンにくれー」って・・・あげればよかったよね(笑)。