
順がプロデューサーで、すべて私の好きなようにさせてくれて、稚拙ながらドラムからキーボード、ギター、デザインまで1人でしています。ネオマチスが批評家的に走っていたので、ソロでは救済とか開放とかを表現しています。

大阪ではフォークロック系のバンドからソウルミュージックへ移行していく人が多かったんです。ソウルはもちろん好きですが、自分のやる音楽ではないというのは分かっていましたから、新しい音楽の形を模索していました。ちょうどその頃、アートの世界と出会って、「気持ち良い」ことがよくて「気持ち悪い」ことが悪い、ということはないんだという、自分なりの尺度ができました。そんなときにであったのがパンクやニューウェイヴだったと思います。「SMILE」は斉藤君の曲ですが、男性軍はみんなムーンライダーズ好きだったと思いますよ。

「モア・ソングス」ですね。

「My song(杏物語)」は杏、ウィンディスープ、ソロの中から集めたアルバムでMemi作品集となっていますので、73~83年までの私の変遷がよくわかるアルバムだと思います。