――ソロ、C. Memiとしての自主製作レコード『ヘブンリーピース』もリリースされていますが、ネオマチスとはまた違う音楽性なのでしょうか?
順がプロデューサーで、すべて私の好きなようにさせてくれて、稚拙ながらドラムからキーボード、ギター、デザインまで1人でしています。ネオマチスが批評家的に走っていたので、ソロでは救済とか開放とかを表現しています。
――永原さんは、ネオマチス以前の1970年代に、杏(『喫茶ロック ソニー編』に「風は何も恐れはしない」と「輝く明日はない」を収録)やウィンディスープとして、どちらかと言えば、フォークロック系と言える活動されていたようですが、何がニューウェイヴに転向させていったのですか? まるで、ムーンライダーズみたいですね(ちなみに6曲目の「Smile」にムーンライダーズに共通するものを感じました)。
大阪ではフォークロック系のバンドからソウルミュージックへ移行していく人が多かったんです。ソウルはもちろん好きですが、自分のやる音楽ではないというのは分かっていましたから、新しい音楽の形を模索していました。ちょうどその頃、アートの世界と出会って、「気持ち良い」ことがよくて「気持ち悪い」ことが悪い、ということはないんだという、自分なりの尺度ができました。そんなときにであったのがパンクやニューウェイヴだったと思います。「SMILE」は斉藤君の曲ですが、男性軍はみんなムーンライダーズ好きだったと思いますよ。
――アート・スクール系ニューウェイヴの元祖とも言えるトーキング・ヘッズからの影響を公言されていますが、一番好きなアルバムは?
「モア・ソングス」ですね。
――では、現在の活動についてお伺いします。ミュージシャンとして、杏_(AnzuUnderbar)としてアルバム『My song(杏物語)』をリリースされていますが、どのようなサウンドなのでしょう?
「My song(杏物語)」は杏、ウィンディスープ、ソロの中から集めたアルバムでMemi作品集となっていますので、73~83年までの私の変遷がよくわかるアルバムだと思います。